礼陣高校の校則は、妙なところで緩い。制服はきちんと着るように指導されるのに、頭髪に関しては、こと髪の長さや髪型については、放置されている。
生徒会役員である野下流も男子にしては髪が長い。ハーフアップにした後ろ頭は、見ればすぐに本人だとわかる。もっとも彼の場合は学校よりも親が厳しいので、毎朝叱られながら家を出てきているのだが。
そして同じく役員である水無月和人も、ほんの少しではあるが髪を伸ばしている。そうしていても不自然には見えないのだが、彼と知り合った人は、初めのうちはこのことを不思議がる。
「和人さんって、なんで髪伸ばしてるの? 真面目だから、もっと短くしてそうなのに」
自身は天然の金髪を持つ亜子も、その例にもれず、生徒会室の掃除の手伝いをしながら尋ねてきた。先ほどから和人を眺めては首を傾げていたのだが、どうやらそれが気になっていたらしい。一度話題にのぼると、追いかけるように大助からも声が上がる。
「俺の制服の着方はうるさく言うのに、自分の髪型はいいのかよ」
いつも制服の着こなしで和人から指導を受けている大助は、納得がいかないというふうに口をとがらせる。後輩二人からの問いに、和人は困ったように笑って返した。
「この学校の校則だと、髪を染めるのはあんまり良い顔はされないんだけど、髪型には言及してないからね。僕も自由にさせてもらってるんだ」
「なんかずるくねえ? まあ、いいけどよ。和人はそれが似合ってるし」
容姿が良い和人には、そのサイドが少しだけ長めに切り揃えられた髪が似合っている。大助だけではなく、亜子もそう思う。けれどもやはり、伸ばそうと思ったきっかけは気になるのだ。
「どうして伸ばそうと思ったの? 流さんとお揃いにしたいから?」
「亜子ちゃん、なかなか鋭いね。それも理由の一つではあるよ」
「一つってことは、他にもあるんだ」
そう、理由は他にある。だが、それにも親友が関わっている。流の一言が、和人には大きな影響を及ぼしてしまうのだ。和人は苦笑しながら、中学生の頃を思い出していた。

もともと髪はなんとなく伸ばしていた。行きつけの床屋(というのは昔の話で、今は美容室になっている)で切ってもらうと、「和人君はこれが似合うから」といつも同じ髪型にされていたのもあり、とくに「こうしたい」という希望がなかったということもあり。とにかく今現在のような、サイドが少し長い髪型でいることが普通だったのだ。
幼い頃はそのせいで女の子に間違えられることもときどきあったが、それでも変えようと思わなかったのは、和人が自分自身のことにあまり頓着しない性格だったためだろう。
それにこの髪型を、ことさら流が気に入っていたのだ。そのことを知ったのは、随分とあと――中学三年の秋のことだったが。
高校受験が差し迫っていた。和人は剣道を良い環境で続けられる礼陣高校への進学を希望し、流も同じ進路を目指していた。もっとも流の場合は、学力と校風、家からの通いやすさから判断したので、和人と理由は違ったが。
とにかく受験するには願書を出さなければならないということで、添付する写真を撮ることになった。その日は制服もしっかりと着込んで、身なりを整えてくるようにとの指示があった。
いくら受験先の校則が緩いからといって、願書に添える写真に気を遣わないというのはおかしいだろう。そう思った和人がまず決めたのは、髪を切ってしまおうということだった。短く刈る、とまではいかなくとも、せめて耳がきちんと見えて、襟足がすっきりとした、清潔感のある髪型にしておかなければ。そうしていつも通っている商店街の「美容室こいずみ」で、和人は初めて注文をした。
受験なので、といって整えてもらった髪型は、これまでと比べるとずいぶんとさっぱりしたものになった。だが、ちゃんと普通の男子学生の域で、これからずっとこのままでもいいかなどと思ったくらいだ。
しかし、翌日学校に行った和人を待っていたのは、流の意外な反応だった。
「和人、お前、髪どうしたんだよ!」
おはようを言うよりも先に、流はそう詰め寄ってきた。いつもの明るい挨拶と、「お、髪切ったんだ」くらいの軽い反応を想像していたので、和人は面食らった。
「どうした、って……願書の写真撮るから、切ってきたんだよ」
「ええ、もったいない……。せっかく綺麗な髪なのに」
「それ、女子に言う台詞じゃないの? とにかく、受験のときは面接もあるんだし、整えておくに越したことはないかと思ったんだけど。そんなに似合わない?」
そりゃ、もともと髪を短くしている流に比べたら違和感があるかもしれないけど。和人が前髪をつまみながらほんの少し拗ねてみせると、流はあわてて首を横に振った。
「似合わないとかじゃないんだ。ただ、うん、やっぱりもったいないなと……
「何それ。桜ちゃんや莉那ちゃんみたいな綺麗で長い髪の似合う女の子に言うならともかく、僕にそれはおかしいよ」
流の妹や近しい後輩の女子の名前を挙げて、和人は流の言葉を笑い飛ばそうとした。けれども、初めて親友から否定に近い言葉をもらったショックは予想外に大きく、うまく表情を作れない。ぎくしゃくしながら、流から視線を逸らそうとした。
けれども、いつだって流はそうさせてくれないのだ。こちらが見なくとも、向こうから真正面にやってくる。そのときも、彼は何の躊躇いもなく和人の頭に、いや、髪に触れると言った。
「また伸ばせよ。受験終わったらでいいから。俺も伸ばす」
……は?」
こちらの予想を飛び越えた、行動と言動。それを簡単にしてしまう流を、和人はいつもすごいと思っていた。呆れることもあれば、尊敬することもある。今回はつい、呆れ寄りの声が漏れてしまった。
「伸ばす、って、髪を? 僕と、君も? なんで?」
「和人に強要しといて、自分で何もしないのはおかしいと思って」
感覚が、ずれている。和人の思う「おかしい」と、流の考えた「おかしい」は次元が違う。和人は大きく息を吐いて、そういえば流はこういう人物だったなと、改めて心の中で呟いた。こういう人物だったから、今まで和人は彼と常に新鮮な気持ちで付き合ってこられたのだ。
……わかった。受験が終わったら、また髪を伸ばすよ。元に戻せばいいの?」
「ああ、あれが一番似合うと思うぞ。今のも悪くないけど」
降参するしかない。こんなに無邪気な笑顔を浮かべられたら、これ以上はこっちが悪いことをしているような気になってしまう。そうして背負い込んでも、きっと流はまたさっきのように戸惑うのだろう。
彼には、できる限り笑っていてほしい。それが一番似合う表情なのだから。
「悪くないって、上から目線だな。……でも、そうだね。流も一緒に伸ばすなら、また前と同じくらいにはするよ」
「約束な。あーあ、早く受験終わんないかな」
「受験も髪も、焦ったってどうしようもないよ」
ある朝の、ほんの短いやりとりだった。けれどもそれが、二人がおかしなこだわりを始める決定的な瞬間になってしまった。
それから冬になり、春がきて、高校生になった二人が初夏を迎える頃。和人の髪は元のように、サイドをほんの少し長めにして切り揃えられ。流は伸びた髪をハーフアップにするようになっていた。ちょうど現在、そうしているように。

……ってことがあったから、僕と流はこんな髪型をしてるってわけ。ここが社台高校みたいに校則の厳しい学校だったら、どうなってたことか……
思い出を語り終えた和人は、同時に役員会の資料をバインダーに収め終えてもいた。だが、亜子と大助の手はすっかり止まってしまっている。大助はともかく、亜子までもが片づけを中途半端にするのは珍しいので、和人は首を傾げた。
「今の話、呆れた?」
「いや、そういうんじゃねえけど……
「和人さんたち、やっぱり仲良いなって思って。そっか、約束、ねえ……
人のこと言えないけど、幼馴染って変なこと考えるなあ。亜子がそう小さく呟いたのを、和人は聞き逃さなかった。たしかにおかしいと思う。今だってそう思い、その上でまだ約束を続けているのだから、お互い律儀だ。
いや、和人は今でも自分自身に頓着していないだけなのかもしれないし、流はあの髪型が気に入ったのかもしれない。単に、決め事が自然になっただけのこと。とくに「約束を守っている」というわけでは、もうないのだろう。
なんだか髪を伸ばそうと頑張っていたあの頃の自分たちが懐かしくなって、和人は目を細めた。そうしたところで、ちょうど生徒会室の戸が開けられる。
「お疲れー! 悪いな、課題出し忘れて先生に捕まってさ。和人、部活間に合うか?」
変わらない元気さで、流が部屋に入ってくる。肩のあたりまで伸びた髪が、ぱさりと揺れた。
「だから昨日、忘れないようにメール送ったのに。それじゃ、あとは任せたよ。僕は道場に行くから」
「おう、頑張れよー」
生徒会と部活動を掛け持ちするのは大変なのに、和人はそこまで流に付き合っている。本人が好きでやっているというのだから、それはそれでいいのだろうが。亜子と大助は「またね」と言いつつ急いで部屋を出ていく和人を見送ってから、顔を見合わせた。そして流が綺麗にまとめられた資料を棚にしまおうとしたタイミングで、声を揃えて言い放つ。
「髪フェチ」
「ん、何だって?!」
持っていたバインダーを落としそうになったところを見ると、どうやらその言葉は流の頭の中で即座に正しく変換されたらしい。自覚はあるようだ。
「和人さんから、髪を伸ばしてる理由聞いて。流さんが必死で頼み込んだからだったんだなーって納得してたの。たしかに和人さんの髪、羨ましいくらい綺麗だけど」
「でもまさか、中学生で、しかも和人を見て目覚めるとはなあ。流って本当にすげえのな」
「いや、目覚めたとかそういうんじゃなくてだな。ただ、昔から和人の髪って良いなと思ってただけで、けっしてフェチとかそんなんじゃ……
顔を赤くして、必死に肯定に限りなく近い否定をしようとする流は、なかなか見られるものではないので面白い。つい弄って遊びたくなってしまう。ここぞとばかりにコンビネーションを発揮する後輩たちに圧されながら、流は首を横に振り続けていた。
生徒会室の片づけは、今日も完璧には終わらない。