誰にでも好かれる人間を見たのは、これできっと3人目。
滅多にいないと思っていたら、近くには多かった。
2人は卒業し、1人は今、黒哉のすぐ横にいる。
「日暮君、お弁当一緒に食べない?」
屈託のない笑顔。
それを向けられたいと思っている男が何人いるかを、彼女は知っているのだろうか。
「ないものをどうやって一緒に食えって?」
「え、ないの?」
黒哉が昼食を持ってきていないのは、1つ上の兄から受け取るからだ。
これから取りにいって、ついでに屋上で食べて来るつもりだった。
それを彼女は知らない。
クラスメイトになったばかりだから、黒哉の習慣を知っているはずもない。
「私たちの分けてあげようか」
「いらねーよ」
普段たくさんの友人たちと接する時と同じように、黒哉に話しかける彼女。
構われることに慣れていない黒哉は、それを冷たくかわす。
それでも彼女は。
「…わかった。じゃあ正直に言うから協力してください」
会って間もない黒哉に、とんでもないことを言い始めた。
「3年の常田先輩、日暮君のお兄さんなのよね?」
彼女はそういうことを知っていても、気を遣って言わないタイプだと思っていた。
だから皆から好かれるのだと。
その黒哉の考えを、彼女はさっそく覆したのだ。
「だから何だよ」
「えっと…その、ね。常田先輩のこと教えて欲しいなぁって…」
「何で」
「生徒会で一緒だった時から気になってるの」
さっき初めて話した相手に、いきなり恋愛の話か。
読めない相手に戸惑う黒哉を、彼女は少しはにかんだ笑顔で見つめていた。
結局、その日の昼食はいつものように屋上でとった。
兄とその同級生も一緒に。
「やっぱり流さんと和人さんいないと変な感じだね」
「和人はともかく、流の奴はいなくてせいせいするぜ」
ともに過ごす人数が減った昼休みを、亜子と、きっと大助も寂しく思っていた。
「まだ会長たちが学校に来てるような気がするんですよね」
在も同様。それだけ卒業した2人の存在感は大きかった。
しかし今の黒哉はそんなことよりも、彼女のことが気になって仕方なかった。
「…なんでコイツなんだ」
聞こえないよう呟きながら、在を見る。
確かに一時期、在は生徒会と関わりがあった。
だからこそ生徒会長であった流や、その友人の和人と知り合うことができた。
その中でもう1人、しかも誰もが憧れるような女子が彼を気にしていたなんて信じられなかった。
「黒哉、どうかした?」
箸が止まっているのを在に気付かれる。
この際ごまかす必要もないと思い、彼女の名前を口にした。
「お前さ、葛木って知ってるか?」
確認だけ。
向こうだけが知っているということも十分考えられた。
何しろ黒哉が知っている在の友人関係はとても狭いものなのだ。
だがその名前に対する在の反応は、とても意外なものだった。
「か、葛木さん?!」
突然真っ赤になってうろたえ始める兄。
彼女を知っているという返事には十分すぎる。
「黒哉、か…葛木さんと知り合いなの?」
「今年は同じクラス」
「そうなんだ…」
あろうことか、日陰者の兄はあの太陽のような女子を想っているようだった。
しかも両想いだなんて、彼女を想っている多くの男子はきっと在を呪うだろう。
こんなドラマや漫画の世界でしかありえないようなことが、現実に起こっている。
いや、もう現実的かどうかはどうでもいい。それを言うなら去年からそうなのだから。
「葛木さんって書記の?」
亜子が話に乗ってきた。昼食は済んだらしい。
「え、あの巨乳書記か?!」
大助も参加しようとするが、亜子の肘打ちをくらう。
加えて在が一瞬大助を睨んだことは、黒哉しか気付かなかった。
「在、葛木さんのこと好きなの?」
「きれいな人だなとは思ってますけど…好きとか…その…」
興味津々の亜子に問い詰められ、在はたじろいでいる。
そんな光景も結構面白いものだなと思ってから、黒哉は1年前を回想した。
あの頃の自分は、そんな感想は絶対に持たなかっただろう。
以前とは違い、今はこの騒ぎが心地よい。人が減った分物足りないくらい。
「葛木さん人気あるからわからないけど、在の恋は応援したいなぁ」
「そんな、恋だなんて…」
頬を染めたままの兄をからかってやりたくなる。
ついでに、そんな兄に好意を持つ彼女に興味を持った。
明るいところへ一歩踏み出すきっかけ。ほんの一言で越えられる壁。
去年教わった、大切なこと。
「葛木と会うか?」
日陰にいたままでも、生きていくには問題ない。
だけどきっとどこかで、光の溢れる場所に憧れていた。
だから今、黒哉はここにいる。
「葛木、放課後に屋上前の階段行ったら兄貴いるから」
「え?!」
驚いたのは内容にか、それとも黒哉から話しかけたことか。
どちらも考えられるし、両方もあり得る。
彼女は大きな目を真ん丸にして、こっそりと話しかけたにもかかわらず大仰に返してくれた。
「日暮君、それどういうこと?」
「行けばわかるんじゃねーの。オレはバイトだから帰る」
「ちょっと、ひ…」
彼女はきっと、日暮、と言いかけた。
でもそれをやめて、言い直した。
「黒哉君!」
彼女にとって、黒哉はもう単なるクラスメイト、もしくは想い人の弟ではない。
「…なんで名前?」
「友達は名前で呼ぶよ、私。だから黒哉君も、良かったら私のこと名前で呼んで」
友好の意を示されたら応えてみようよ、と卒業したあの人は言っていた。
応えていたからこそ、彼は日向の人間だった。
「何だっけ、名前」
「自己紹介の時言ったのに…まぁいいか。葛木莉那だよ、よろしくね」
これが黒哉の、新しい1年の始まり。