姉の葬式から帰ってきたら、一通の手紙が郵便受けに入っていた。姉からだった。
封を切ると一枚だけ便箋が入っていて、そこにパスワードが書かれていた。姉のノートパソコンを開くためのパスワードだ。このパスワードを入力しなければ、姉の使っていたパソコンの中身を見ることはできない。
これが私に送られてきたということは、姉は私に何か伝えることがあったんじゃないのか。私は実家に連絡し、姉のパソコンを至急送ってもらった。

姉はノートパソコンで、始終何かを書いている人だった。仕事が休みになれば文章を綴り、どうやら自らのサイトで公開することもしていたようだ。
それに対しては、特に何の反応もなかったと思う。少なくとも私はそう把握している。姉はひっそりと何かを書き、置きっぱなしにして、放っておかれた。それを苦にする様子はなく、むしろ当然のことであると受け止めていた。そうでなければ、ときに自分自身や他人を容赦なく引き裂くような、そんな文章を誰でも見られる状態にしておくはずもない。
あるときはシリーズものにして、小説を書いていた。何年もかけて少しずつ書いていた。私が小学生の時に書き始めたシリーズを、姉はこの二年ほどで、次々に完結させていた。「これでこのお話もおしまいです」――その文面を、そういえば長くない期間のうちに何度も見た。
ノートパソコンにそれが残されているかと思ったら、パスワードを入れて開いたそこには、ほとんど何も残っていなかった。きれいさっぱり、消えていた。
デスクトップの、ただ一つのテキストファイルを残して。
「咲へ」というファイル名から、それが私に宛てたものであることがわかった。急いでダブルクリック。そこには、ああやっぱり、姉の文章でぎっしりと書きこみがあった。
これを用意して、姉は死んでいったのだ。思えば姉は、前もって準備をしておいて、その通りに実行するという過程に満足する人だった。


咲には面倒をかけます。でも咲にしか頼めません。
以下のことをお願いします。これを読むなら、私は今度こそちゃんと死ぬことができたのでしょうから。それを他の人に知らせるための手段です。
まず、SNSのアカウントとパスワードは次の通りです。
――

ここに、私が死んだ日付と、生前ありがとうございました、という一文を投稿してください。ここにはそれだけでいいです。
うまくいけばそのうち、ブログのほうに予約投稿しておいた記事が表示されると思うので、詳細はそこで話します。
その内容を、咲には前もって教えておきます。

私はここ数年、「終活」というものを意識していました。自分の葬儀の手配をしておくとか、そういうものではなく、自分が死ぬための準備です。
ここにあった数々のお話の、長いシリーズものは終わらせました。登場する彼らはこれからも生き続けるでしょうが、私はこれでおしまいです。
しばらく連絡をとっていなかった人と会ったり話したりしたのも、死ぬ前にその人との関係を納得のいくかたちにしておきたかったからです。私だけが納得して、安心するためのものでしたから、その節は多大なご迷惑をおかけしましたことを、心よりお詫び申し上げます。
なぜこのようなことに至ったかというと、もうこの世でやりたいことはほとんどやりきったと感じたからです。私は未熟に生まれ、未熟に育ち、人を追いかけて追いつけずに一生を過ごしてきましたが、それでも人生には満足しています。満足してしまいました。
もうこれ以上はないと思ったのです。だから、清算して終わらせることにしました。
この文章を見ているということは、すでに全てが終わっているということになります。
生前はありがとうございました。
これをもって、このブログの最後の記事とさせていただきます。

と、こんな感じのことを書いておきました。
咲やみんなは驚いているかもしれないし、いつかそうなるだろうとどこかで思っていたかもしれないけれど。私は自分で自分を終わらせることを選びました。
つらくてそうするのではなく、もうこれでいいと判断したからです。だから、原因をさがすとか、そういうことはしなくてもいいと、父と母には伝えてください。
役に立たない、最後まで世話の焼ける姉でごめんね。私は自分で自慢できることは何にもないけれど、咲たちのことは何度となく自慢してきました。それだけ私がだめで、咲たちが偉かったのです。
だめな私の、これが限界です。ここまでです。幸せだったと思います。
それじゃ、さようなら。
あとはよろしくね、咲。


マイペースといえば聞こえはいいが、姉は身勝手な性格だった。人より歩みが遅れがちで、けれどもそれを補おうとはしなかった。自分さえ満足すればそれでいい、そういう人だった。
だからこんな面倒を私に押し付けて、さっさといってしまったのだろう。もっと、ましなやりかたが、あったはずなのに。それを考えなかったのは、姉の怠慢だ。
手首を切っても、首を吊ろうとしても、うまくいかなかったのは知っている。唯一これならと思ったのが、溜めておいた睡眠薬をアルコールでのんで、雪の中に寝るというやりかただったのだ。以前、酔っぱらって気絶して、目が覚めたら夜中になっていたという話をしていたっけ。それを応用したのだ。
姉はいなくなるのだから、それでいいのかもしれないけれど。あとに遺った私たちがどれだけ迷惑したか、この人は知らない。知ることができない。それが無性に腹立たしかった。
私は二度と姉を許さないだろう。でも、この怒りをぶつけることは、もうかなわない。姉の身勝手のせいで、私は、私たちは、この記憶を死ぬまで持っていなくてはならなくなった。
楽しかったと言っていた旅行、久しぶりに電話で知人と話したと言っていたこと、何年もかけて作品を完結させたということ、全部楽しそうに、嬉しそうに語っていたのに、それは全部姉が自分を終わらせるためだったなんて。そのためのプロセスを順調に踏めたことに満足していて、だから笑っていたなんて。
最後の頼みとやらを私が実行すれば、姉の目的は全て達成されたことになる。でも、姉の死を知人が知らないままというのもどうかと思う。知人はほとんど遠くの人で、姉の日常はそれこそSNSでしか知らないのだ。
ブログが公開になるまで、待とうか。もう、スケジュール管理をしたがる姉はいないのだし。
私だって、巻き込まれる筋合いはない。
私はテキストファイルを削除してから、パソコンを閉じた。パスワードが書かれた便箋は破り捨てた。これで本当にさようなら。
ひとりよがりな私の姉は、もうどこにもいなくなった。