「男性恐怖症ってわけではないでしょうし、まあ、変に距離を詰めてくる男の人が苦手なのは、あなただけじゃないですよ。私だって正直なところ、おじさんは嫌ですし。あんまり嫌だなと思ったら、もう少し離れても声はちゃんと聞こえてますよって、言ってあげた方がいいですよ。そのほうが相手も傷つかないでしょう。嫌だって気持ちは隠そうとしても顔に出ますから。そんなものです」
信頼している先生が、電子辞書のキーを叩いてそう言った。たぶん、動悸、発汗、吐き気などの症状を聞いて、簡単に調べたのだと思う。
恐怖症、ってほどでは、たしかにないのかもしれない。でも苦手なのだ。……いや。
私は男の人を嫌悪している。近付かれたら、先の症状が出るくらいには。

飲み会で、ノリで連絡先を交換した相手から翌朝メッセージが来ていて、気持ち悪くなったのでブロックした。素面で、それも血圧が上がらなくて不機嫌な朝に、対応は無理だ。だいたいにして、いきなり身長というコンプレックスに言及してくるなんて、最低だ。
昨夜の酒の勢いを恨む。自業自得だと自己嫌悪に陥る。それが余計に二日酔いの頭に響いて、たどり着いた結論は「死ねるなら今すぐ死にたい」。むしろ「昨日に行って自分を殺したい」。なんであんなに、ノリの良いふりをして、笑顔を振りまいたんだろう。馬鹿じゃないのか。
一日寝て過ごして、休み明けに仕事に行ったら、上司に先週のミスを指摘された。はいはい、すみませんでした。よくわかりました。だからそんなに近づいて言わなくていいです。「なんでもかんでもやればいいってもんじゃないので」なんて、余計な一言もいらないです。
上司が離れて行ったあと、上半身が汗でびっしょりになっていた。変に動悸がして、吐き気に襲われる。このまま倒れたら起き上がれなさそうなので、自分の席でしばらくじっとしていた。ああ、また仕事が進まない。とにかく声をかけられないよう、細心の注意をはらっておかなければならないのに。
背後で別の上司の声がする。電話で誰かと話しているのだろうけれど、語気が荒い。機嫌が悪そうで怖い。そのトーンが、私は昔から嫌なのに。席、変わらないかな。
馴れ馴れしい男も、怒っている男も、私は怖くて嫌いだ。

そもそもは父が嫌だった。突然理不尽に怒りだし、馴れ馴れしいときは体にべたべたと触ってくる。それがとても気持ち悪い。おまけにテレビに出ているアイドルや女優を値踏みしてケチをつける。普段から女性をそんなふうに見ているのかと思うとぞっとした。
思春期の頃からそう思うようになり、同じくらいのタイミングで痴漢に遭った。道を訊くふりをして近づいてきて、胸を触り、服を脱がせようとしたあの男に感じた恐怖を、私は一生忘れないだろう。そしてその男と同じものを、女性に文句を言いながら触ろうと手を伸ばす父からも感じるのだった。
男がみんな私を値踏みしている、いやらしい目で見ている、なんてことは思っていない。そんなに自分に自信があるわけではないし、自意識過剰なのは否めないけれど私のそれは方向性が違う。器量が良くないからモテたこともないと思う。
だからそういうことではなく、嫌な面を見てしまったから嫌なのだ。自分がそうされるからではなく、その男が誰かに対してそういう態度をとっているということが許せない。上から目線で人に接しようとする、それが気にくわないのだ。
何様のつもりだよ、気持ち悪い。その短い言葉に全てが集約される。

手の届かない人、虚構の存在、そういった異性なら何の問題もない。現実にいたら最悪、という性格のキャラクターもリアルでなければ許容できる。それは私の世界を傷つけず損なわないからだ。
だからそちらへと逃げる。都合のいい夢を見る。そしてまた、現実に絶望するのは、わかっているのに。
でも一瞬でも素敵だと思えるものがあるなら、死にたいと思わずに済む。そうやってなんとか生きているのだ。……生きたい、のだ。一応は。
私は結局、自分に都合のいい環境が欲しいだけなのだろうとは思う。言われなくてもわかっている。

先生、私、相手を傷つけない方法をとるの、無理です。だって相手が傷つけてくるんですから。被害者ぶってるとお思いでしょうが、実際「死ね」と言われたことがあるのだから、被害者意識は簡単になくなりません。加えて私はマイナス方向に執念深いのです。
相手の心が痛めばいいと思っています。傷むならまだましだと思っています。私は私の世界を壊された分の復讐をしなければ気が済まないのです。
症状は改善されません。だから私の世界は壊れ続けます。その分また仕返しをします。永遠に終わりません。
幼い頃からの分とこれからの分、私が気持ち悪いと思っただけ、それを返してやりたい。被害者という名の加害者を、私はきっとやめられない。男性嫌悪はまだ続く。