飲み会で支払うもの。お金、時間、体力、精神。美味しいものが食べられて、めったに飲めないお酒が飲めるなら、お金くらいはいくらでも支払うし、時間だって空ける。お腹に入るものは大事だ。削られる体力は寝ていくらか回復させる。
精神は、読書に逃避することでなんとかごまかす。ごまかしがきくなら。けれども私の脳は無駄なデータばかり手の届きやすいところに保存されていて、拾うキーワードからすぐに面倒なことを検索してくれる。せっかく現実にはありえないような展開を楽しんでいるのに、ふとしたことで思い出す。
あの飲み会での会話。主に仕事の愚痴。いや、違う。仕事自体に不満があるわけじゃないようだったから、あれはただの他人への悪口。悪態。納得いかないことへの文句。そんなに言いたいことがあるなら本人に直接言えっての。
ああ、鮮明な脳内再生が始まった。嫌になる。

「普通電話きたらとるでしょ、三コール以内に! なのにアタシがとるまでとろうとしない。こっちは自分の仕事してんのに。でもあの子、男性社員がいる時ばっかり積極的に動くの。電話なんて真っ先にとる。そういう狡い奴が一番嫌いなんだよね」
甘ったるいカクテルを片手に勢いよくその言葉を口にするのを、私は黙って聞いている。一応は頷いたり、相槌を打ったりしているけれど。でもうるさいなあと思う。よくもまあ、相手の態度をそんなに細かく見てること。女の敵は女だっていうけど、本当だなあ。
「しかもその子を残して、アタシは異動ってどういうこと?! あんなに必死で仕事覚えたのに。新人が来るからポジションあけろって、ふざけんなって思う。課長が何考えてんのかわかんないよ」
そりゃ、目に見えるところで可愛いげがあって要領の良さそうなの選んだってことでしょ。その課長とやらも単純だけど、あんたはその課長をうまく利用できなかったってことじゃない。でもとりあえず、酷いよねえ、とは言っておく。
「異動したらしたで、主任が腹立つし。わかんないって言ってんのに仕事全部押し付けてくるし、訊きに行ってもそれくらいわかれよみたいな反応されるし。あのクソハゲ死ねばいいのに。本当に死んでくれないかな」
その主任のやってることは私も酷いと思うけど、あんたの言葉も相当酷いよ。台詞が映る鏡があったら見せてやりたいくらい。そんなに死んでほしいなら、あんたが殺せばいいじゃない。方法ならいくらでもあるでしょうに。
「思い出したらまたムカついてきた! あーあ、死なないかな」
同じ会社の人間なんだから、本当に死んだらきっちり香典出せよ。ていうか死ね死ねって小学生の語彙力かよ。話したかったことがそれだけなら、私の時間と精神力は無駄に浪費させられたことになって、納得いかないんだけど。とりあえず冗談でも返しておくか。その主任とやら、ドライヤーでも向けてやれば?
「カナのとこも大変でしょ。今の営業所長、女なんだよね。女がまとめるのはだめだよねー」
あんたも女だろうが。さんざん男上司の文句言ったあとに女も駄目って、じゃあ何者なら上司やっていいんだよ。そんなに理想高いならあんたが目指してやればいいじゃない。そもそもなんでいきなりこっちの話になるわけ。余計なお世話だ。
「そういえばさあ、カナが前にいた営業所に友達がいるんだけど、いいとこらしいよね。すごく可愛がってもらってるって言ってた。お菓子とかいっぱいもらうって。いいよねー。カナも移らなければ良かったのにねー」
私、そこでパワハラ受けてたんだけど。あんたがさっき言ってた死ねって言葉、嫌になるくらい言われてるんだけど。私はたしかに技量が足りなくて、バカにされても仕方がなかったかもしれないけど、死ぬのを望まれるくらい酷かったのかって今でも思い出しては吐き気がする。この話しなかったっけ。そうだ、あんたの友達とやらに気を遣ってしなかったんだった。だからそう何度も何度も良いところだって平気な顔で言えるんだったね。
あんたは仕事できていいよね。文句言いながらちゃんと社会人やってて、給料だって私よりずっと多くもらってて、偉いよね。あんたの愚痴を聞くたび、私は自分が惨めになる。私はあんたが最低だと思っている奴らよりも社会に適応できてないってことを痛感させられる。私はあんたのいう狡い奴と同じかそれ以下だよ。ムカつく、も、死ね、も、まるで私が言われてるみたいに感じる。すごく痛いし、私はそれが顔に出るほうだと思ってたんだけど、あんたは何も気づかない?
気づけと思っている時点で、私も察してちゃんか。あんたのこと言えないわ。ごめんね。あんたのことは私の無駄に想像力のある脳内で、何度でも何度でも殺してあげる。その口を封じてあげる。想像の中でも私は直接手を下さない。あんたが死んだら泣いてあげる妄想までにしておく。
こんなに卑屈になるのに、どうして私はあんたと飲み会なんかするんだろう。あんたに合わせて笑ったりしてるんだろう。ご飯が美味しいのが救いだよね。私はほとんど何も喋らないで、飲み放題の時間が切れたら会計済ませて解散。
鬱憤だけを溜めて帰って来て、ベッドに倒れ込む。

たまたま読んでいた本の主人公が一般的に言っても屑だった。つい共感してしまった。人の話を聞いているふりをして心の中でずっと悪態をついている私のほうが、よっぽど人間の屑だ。道理で他人とうまくやれないわけだよ。
私が飲み会に出るのは、ひたすら悪態をつく人間を見て、こいつ最低だなって、私のほうが幾分マシだなって思いたいからなのかもしれない。でもやっぱり社会生活をうまくやれているだけ、向こうのほうがまともな人間なのだ。それとももしかして、わかってる? 私が屑だってことをわかって、自分はこんなに大変なんだからって見下してる? そんなふうに考える私は、やっぱり屑だ。いっそ縁を切ってほしい。あんたが縁を切ってくれたら、私は被害者ぶれるものね。ほらまた、汚い。
死ねって言われた通りに死ねたらいいのにと、二日酔いの頭で思う。
読んでいる本では、ちょうど主人公が人を殺していた。