学生時代の知人から、長いこと会っていない人の近況を聞いた。どうやら楽しくやっているらしいとわかって、安心もしたし、悔しくも思った。なんだ、私がいなくても大丈夫なんじゃない、と。
あの当時、どうして私をあんなにも繋ぎ留めようとしていたのだろうか。不思議に思って記憶を探ってみたら、それは私の所為だということにつきあたった。
思えば人から好意を寄せられるというのはあれが初めてのことで、私は舞い上がっていたのだろう。この人なら私がどんなに離れても許してくれると、勝手に信じて、我儘放題に振る舞っていた。それが何度もあの人を焦らし、悩ませ、傷つけていたかなんて、あの頃の私の頭にはなかったのだった。いや、全くなかったわけではないけれど、嫌になったら離れるだろうなんて、私の基準であの人を考えていたのだ。
舞い上がりが落ち着いた私は、より私自身を最優先に考えるようになって、あの人のことなんか二の次といえば良い方だった。私の進路を阻むと思ったならば、その存在を否定した。妨害となることを恐れて、向こうのほうから私を見限ってはくれないかと、わざと辛辣な態度をとった。
それでもあの人は私より真摯に、私を想ってくれていたのだろうと思う。自分の気持ちをきちんと私に伝えてくれていたし、私はもっとあの人をわかっていても良かったはずだ。それなのに無視したのだ。自分のためだけに、あの人を細い糸で縛りつけておきながら、放っておこうとした。
繋ぎ留めていたのはあの人の方ではなく、きっと私だった。そのことに、あの人が完全に離れてしまってからようやく気付いたのだった。
あの人との思い出には楽しいものもたしかにあったけれど、それはよく夢の中に出てくる。普段ふとよみがえるのは、あの人に言われた、私にとっては痛い言葉の数々だ。それは受け入れなければいけなかったもののはずなのに、私ははねつけて、文句ばかりこぼしていた。
私なら、そんな人間とは付き合いなんか断ち切るのに。あの人は自分が大変な時も、大変だと訴えながら、私を支えようともしてくれた。そのことに気づくのに、なんと時間のかかったことだろう。
それでも、私はあの人を好きではなかったというわけではなかった。好きだからこそ私を早く見限ってほしくて、冷たく接したというのもある。今となってはただの言い訳だけれども。あの人は私にはもったいなかったのだ。
私は、好きになった相手に執着するから。縛りつけてはあの人が可哀想だという気持ちが、突き放すという行為に繋がっていたのだと、矛盾した弁解をしたがっている。
後にも先にも、首を絞めたいと思った男の人はあの人だけだ。あの人が死ぬなら私の手で殺したいと、ぼんやりとでも願った。過去にそれほどまでの気持ちを抱いたのは、今でも強くこだわっている例の彼女のほかには、あの人しかいない。
実際に刃物を持ちだしたこともあった。それは、目の前で自傷をしようと思ったからだけれど、その行為を見せて許してくれると思った、それほどの甘えをあの人には託していたのだ。
あの人は、私が甘えないと思っていたようだけれど。私にはあれが精いっぱいの甘えだったのだと、私はあの人に言わなかったのだから、伝わるはずがない。
しかし私の気持ちはたぶん恋や愛といったきれいな表現ができるようなものではなく、執着や独占、拘り、束縛などが正しかった。でも手放そうと思えば簡単に手放せるものでもあり、行為などは一通り経験してしまえばノルマをクリアできたのと同じで、全て終えればそれ以上時間を共にする必要もなかった。
都合の良い人が欲しかったという、ただそれだけで、私はあの人のきれいな気持ちを受け入れたふりをし、踏みにじった。
その代償がたぶん、私があの人を思い出す頃に、あの人が私を忘れているという、おそらく現在の事実であろうことなのだ。
相反する気持ちで我儘にあの人を振り回して、私が悪者にならないようあの人に私を捨てさせようとした、それが私への報いなのだろう。
こうして思い出と感傷に浸ることで、私は自分をヒロインにして満足することができる。あの人が私を忘れて幸せになれたとすれば、私は私のやりかたで幸せになったのだ。
思い出は物語にして、美化したまま残す。ふざけている、と、あの人は、そして巻き込んでしまった周りの人々は怒るかもしれないけれど、それすら今の私には注目を浴びて快感を得るということに変わりない。私は今、たしかに幸せなのだった。
たくさんのものを踏みつけながら。たくさんのものから逃げながら。
だからあの人の話を聞いて、私は笑った。