私たちの所属する情報ネットワーク第三研究室は、良く言えば研究分野の幅が広く自由度の高いところだ。それゆえに知識や興味の偏りが大きな、マニアやオタクといった部類の人間が押し込まれるところでもある。他のところはもっと真面目なんだろうが、少なくともここはそういう研究室もとい溜まり場だった
院生の常砂さんと一條さん、四年の萩岡君と篠井君、関さんと私、三年の有宮君に吉川君、板原さんというメンバーは、つまりはこの学校で最もオタクで最も気ままな人間たちだった。誰にも迷惑をかけないなら、それでいいと思いこんでいた。
ネットワークという言葉を掲げていながら、他人のやることなど自分にさえ大きな影響がなければどうでもいいという質だったのである。実際は、そんなことなど全くないというのに。
そう、私たちにとって災いとは、自分の身に降りかかるまではそれと理解できないものだったのだ。
「屋峰さん、君、疑われているよ」
常砂さんにそう言われるまで、私は他人の目というものを、他人の存在というものを、きちんと意識してこなかったように思う。

学校内のパソコンにウィルスがばら撒かれたという話を耳にしたのは、当日の正午だった。突然隣の研究室から人が来て「ウィルスチェックをかけろ!」と叫んだのが始まりだ。その時私たちは昼食を持ち寄りながら各々論文らしきものを進めたり、ゲームをしたりしていたので、みんなパソコンは立ち上げていたし、学校のLANを使用していた。
試しにチェックをかけてみたけれど、この研究室にあるパソコンは備品も私物も全て無事だった。日頃からそういった対策は、オタクが故に怠らなかったのである。これがのちにこの研究室がウィルスをばら撒いたのではないかと疑われる要因となるのだが、その時はただただ「他のところはやられたのか、大変だな」としか思っていなかった。
けれどもよくよく話を聞いてみれば、実は学校中がこのウィルスによって大パニックに陥っているのだという。情報処理センターのマシンは全て繋がっているから全滅。学校のLANを使用していた一部の学生も、私物をやられて絶望しているのだとか。
自分さえ被害者にならなければ他人事で済ませてしまう私たちは、その報せも「ふうん」と聞き流していた。それが事件当日の話である。
問題は翌日に発生した。私はいつものように研究室でだらだらしようと思い、売店で買ったミニ丼飯を片手に、もう片方に愛機を抱えて憩いの場へやってきたはずだった。
しかしそこには、珍しく深刻な顔をした研究室のメンバーが集まっていた。
「あ、屋峰さん。昨日のウィルス騒ぎで、備品のパソコンは使えないよ。私物も学校のLANは使えないから」
常砂さんが言う。昨日の今日だもんなあ、と私は暢気に「はーい」と返事をした。が、まだ研究室内の空気は重い。ネットが使えないからか、と思ったが、どうやらそれだけではないらしい。
そこでこの常砂さんの言葉である。
「屋峰さん、君、疑われているよ」
……何にですか」
「この学校中の人間にさ。正確には、この研究室の人間がウィルス騒ぎの犯人なんじゃないかという疑いがかかっている」
ミニ丼飯の蓋を開けかけた私は、自分の口をあんぐり開けたまま静止した。
「は、何、なんで」
言葉にならない、というよりは普段からまともに喋ることが少ないのですぐに言葉が出てこない私に、今度は一條さんが状況を説明してくれた。
「昨日全く無事だったの、ここの研究室だけだったのさ。他のところは、少なくとも一機はウィルスにやられて修復の必要がでちゃったってわけ。それで、何にも被害がなかったここが、自分たちのところはきちんと対策してから、学校のパソコンをウィルスに感染させたんじゃないかっていう話になってるんだよ」
「謎のオタク集団だし、そういうことも平気でやるんじゃないかって人格否定も入っている」
萩岡君が携帯ゲーム機を弄りながらぽつりと呟く。たしかにここにはいわゆる「ろくでもない奴ら」が溜まっているかもしれないが、それはあんまりだ。私たちの思考はあくまで内部に留まっているものであり、外にこんな形で放出されるようなものではない。
「で、俺たちで話し合った結果、屋峰さんが怪しいってことになってる」
それなのに常砂さんは、どうしてそんなことを言うのだろう。
「なんで私……
「しょっちゅうゲーム作って遊んでるからね。そのノリで今回のことも起こしたんじゃないかということに」
「私はそんなことしません! ゲームは自分がやりたいから作ってるだけで、別に誰かの反応とかそんなものいらないし、ウィルスなんか手を出したこともないですよ! いい加減にしてください!」
「お、屋峰が叫んだ。珍しいこともあるもんだ」
関さんがコンビニで買ってきたらしい菓子をぽりぽりと食べながら、冷静に、いや他人事のように言う。自分はやってもいないしマシンも無事だから関係がないという、実にいつもの私たちらしい立ち位置だった。
「犯人が屋峰かどうかはともかくとして、この研究室が疑われるといろいろやりにくい。四年生諸君も都合が悪いだろう、進学にも就職にも悪影響を及ぼす」
しかし実際、一條さんの言う通りだった。私はもちろん犯人などではないが、これは私たちの今後に影響することなのだ。無関心を決め込むというわけにはいかない。
「かくなる上は、僕たちで真犯人を見つけ出して謝罪させようと思う」
ただし、こんなに面倒なことにもしたくなかった。私は基本、動かないで済むのなら動きたくないタイプなのだ。

ウィルスの情報がこの研究室へ届いたのは、昨日の正午。つまりばら撒きはその前に行なわれたことになる。どこから発生したものなのか、それがわからなければ話にならない。
「昨日の正午以前のアリバイはどうなっている。俺と一條は研究の中間発表に向けて準備を進めていたが」
常砂さんは一條さんと一緒にいたらしい。というか、この二人は常に一緒にいるのだ。互いのアリバイを捏造することだってできるのではないか。
「十一時半頃まで、家で新作ゲームの到着を待ってた。あの運送屋、いつもドアノブに商品かけていきやがるから見張ってないと……
ゲーム画面を見ながら萩岡君が言う。こういうときくらい、そのゲーム機を手からはなせ。
「卒論の進捗状況について先生と話してたよ。俺が何もしてないことは先生が証明してくれるはず」
篠井君にはうちの教授という味方が付いているらしかった。しかもちゃっかり卒論を進めている。このだらだらした集団の中で、一番しっかりしているのではないだろうか。
「私はほぼ一日コンビニにいた。一番くじを買いあさらなければいけなかったからね」
そういえば、関さんは昨日はここに来なかった。そして一番くじを買いあさっていたというのはたぶん本当の話だろう。関さんの好きなアニメキャラクターのグッズが、彼女の使っている机の上に増えていた。
「私はここでゲームやってた……自分で作ったやつ」
とりあえずは私も証言しておく。
「俺と吉川と板原は講義に出てた。ていうか、ウィルスなんて誰かがどっかで拾っちゃったまま学校のLAN使っちゃって、拡散されたんじゃないんですか?」
有宮君がもっともなことを言う。そう、ここの人間だけが疑われる理由などないのだ。たまたま偶然、セキュリティがしっかりしていたというだけで。
ところがその期待を裏切るような発言を、一條さんが後出ししてきた。
「いや、この研究室の人間くらいしか持ちだせないんだよ。例のウィルス、屋峰さんの作ったゲームをもとにして作られたらしいから」
それって、つまり、私が一番怪しいことにかわりないってことじゃないか。
どうして私の作ったゲームがもとになったとわかったのか、という部分を問い詰めると、どうやら常砂さんと一條さんは、自分たちの研究室が疑われるのは心外だということでウィルスを解析したらしいのだ。
そうしたら、ソースがどうやら私の作ったゲームらしいということが判明した。私は自作のゲームを基本的に他人にやらせることはないのだが、この研究室のメンバーを含む一部の者には、動作のテストを兼ねてプレイしてもらっていたのだ。院生二人にはソースも開示している。
それで冒頭の「疑われているよ」が出てきたというわけだ。しかし、私は何度もいうように潔白である。
「元データを持ちだせるのはこの研究室の人間のみ、か……じゃあ、この中に犯人がいるっていうのはほぼ決まりじゃないですか?」
板原さんが可愛らしい声で可愛くないことを言う。だから、この研究室の人間が犯人じゃまずいんだってば。今後の人生に大きく関わる問題なんだよ!
これまで、世界は私と関係のないところにあると思っていた。どこで紛争が起きようと、どんな凄惨な事件があろうと、私に直接関わりがなければどうでもいいと思っていた。けれども、実際渦中に入ってみたら、そんなことはなかった。たとえ関わっていなくても、否応なしに巻き込まれることはある。私は一人で生きていたわけではなく、必ず誰かしらの影響や干渉を受けていたのだと気づかされる。
関係のないものなど、何一つないのだ。ただそれをいちいち受け入れていたらきりがなくなって精神が崩壊するから、「割り切る」という行為をしているだけで。何かはめぐりめぐって、自分へとつながるようにできているのだ。たぶん。
今回のことは、そんな大げさな話ではないかもしれないけれど。
「本当にこの研究室の人間だけなんですかね。屋峰先輩、他にもゲームのデータを譲った人間はいませんか?」
私がごちゃごちゃとわけのわからないことを考えていたところへ、吉川君が腕組みをしながら尋ねてくる。
「私、基本的に自作ゲームを人に渡したりしないけど……
「でも、この研究室内ではたまに配りますよね。外ではどうですか?」
「欲しいとかやりたいって言ってきた人にだけ渡すから、私がゲーム作ってること知らない研究室外の人には渡してない……
そこまで言って、私はたった一人だけ思い当たった。この研究室の人間ではないけれど、この学校の人間ではある。私がゲームを配った、けれどももう話さなくなって久しい人物がいる。あいつなら、このとんでもなく迷惑な悪戯をやらかすことが可能だ。
「いた。経済学部の白井。あいつなら私のゲーム使って、ウィルスっぽいものも作れるかも」
白井は、この研究室のメンバー以外で唯一、私とまともに話せる人間だった。かつてはそうだったのだ。
でも今は、つまらないことがきっかけで絶縁状態だ。だが縁を切ったからといって、あいつが私に関する全てのものを処分したとは限らない。
「その白井って奴に当たってみよう。経済学部だな、行くぞ」
関さんが私の腕を掴んで、ドアへと早足で向かう。愛するアニメキャラクターのために地域中のコンビニを自転車でまわれるような関さんと違って、完全な運動不足の私は、引っ張られてついていくのがやっとだった。

経済学部の人間を適当に捕まえて、白井の居場所を聞き出す。関さんはそう言って、一人の男子学生に声をかけた。何かの教養講義で一緒になったことのある、中国人留学生だった。いくらなんでもテキトーすぎではないだろうか。
「おい、白井って奴を知ってるか。白井……下の名前は?」
「さゆり。白井さゆりって学生を捜してるんだけど……
私もしどろもどろに言葉を発すると、中国人留学生は片言の日本語で答えた。
「シライサユリさん、トキワ教授のゼミです」
「常磐教授か、講義を受けたことがあるから顔はわかる。ありがとう」
あまりにも関さんがてきぱきしているので、私は感動していた。二次元にしか興味がなさそうなあの関さんが、私の無実を証明するために動いてくれているなんて。
「あの、関さん。私のために、ありがとう」
「は? 私は研究室ごと巻き込まれるのが嫌なだけだ。あとその白井って奴を殴りたい。今回の一件でせっかくの内定がパーになったらどうしてくれる」
……内定、とってたんだ」
感動は数秒で崩れ去った。けれども関さんが、私が思っていたよりもきちんと先のことを考えて、社会の中で生きていこうとしていたことには別の感心を覚えた。
そうして辿り着いた、経済学部の常磐ゼミが使っているという部屋には、白井の姿はなかった。私が首を横に振ってそのことを示すと、関さんが傍にいた学生に尋ねた。
「白井はいつ来る」
「彼女、しばらく来ないと思うよ」
「なぜ?」
「遠くにいる男のとこ行ったからね。何か用だった?」
関さんは私を振り返る。私は頷くしかなかった。こうなったら本当にしばらく帰ってこないということを、私はよく知っていた。白井は金に困ると男を頼って、そちらへ行ってしまうのだ。
「ウィルス騒ぎがあっただろう。あれの犯人は白井の可能性が高い」
「ああ、そういえばなんかのプログラムだかができるって言ってたっけ。でもそれって、理工の人たちのせいじゃないの?」
「こっちは濡れ衣を着せられて迷惑してるんだ。白井がやったことを認めて処分されなければ納得がいかない」
たとえ白井が真犯人で、学校を退学になったとしても、きっと男を頼って上手く生きていくんだろう。誰も彼女に罰らしい罰を与えることはできないだろうなと、私は思っていた。
「関さん、もういいよ。証拠もないし、そのうち私が作ったゲームがベースになってることくらいわかるだろうから。関さんは何の関係もないんだから、これ以上事を荒立てることないよ」
私はそう言おうとして、関さんを呼んだ。頭の中で組みあがっていた台詞は完璧だった。けれども、実際にそれを言うことはなかった。
突然私たちの後ろから、この部屋に駆け込んできた女学生が叫んだのだ。
「ちょっと、今聞いたんだけど! 白井さん、退学になるって!」
事態は、私たちの一歩先を行っていたのだった。
白井は真実を書いたメールに証拠品を添付し、学校に今回の件について自白していたらしい。完全に縁を切ってしまいたかった人物が作ったものを処分したいがために、少し手を加えてばら撒きました。そんな動機が綴られていたらしい。
男のところへ行って、このまま学校には戻らないつもりだったようだ。

事件は解決し、ウィルス被害もなんとか抑えられた。けれども一度疑いをかけられた私たちの研究室は、気分が晴れなかった。
特に私は、利用されたという意味で最もたる被害者だ。なぜ白井にゲームのことを話してしまったのか。なぜゲームのプログラムを渡してしまったのか。後悔ばかりだ。
「人間不信になりそう」
ぽつりと私が呟くと、板原さんが「えー?」と声をあげた。
「屋峰先輩、今までは人間不信じゃなかったんですか? 意外」
……そうだったわ。私、人間を信じられるほども、逆に信じられなくなるほども、友達いなかったわ」
もともと希薄だった人間関係が、とうとう見えなくなっただけのこと。そんなに落ち込むことでもないはずだ。
「でも、屋峰さんのおかげでここは悲劇の研究室として名を馳せることとなったよ。危機をみんなで協力して乗り越えましたって、履歴書に書けるじゃないか」
「いやですよ、そんな小学生の作文みたいな嘘」
やはり世界は私に関係ないほうが良い。どうか多くの事象が、私が巻き込まれない程度に遠くでひっそり起こってくれることを祈る。
そう考えながら、私はまたゲームを作る。今度こそ誰にも渡さず、自分だけで楽しんでやると思いながら。