押入れからカンカンが出てきた。カンカンとはつまり、金属製の入れ物である。四角くて蓋のついた、かつては少々高級な菓子か何かが入っていたと思われるものだ。
私はそのカンカンの中身を、うすぼんやりとではあるが憶えていた。そこには、幼少期の私が集めたお気に入りの数々を、あれもこれもと詰め込んでいたはずだった。
例えば、当時一緒に遊ぶことの多かった近所の子が、ときどきくれたビー玉。彼女は何故かビー玉をたくさん持っていて、私に好きな色を選ばせ、「あげる」と言って手渡したのだ。私もきれいなものは好きだったから、ビー玉のために彼女と遊んでいたといっても過言ではない。……そう思うと、酷い話ではあるのだが。
例えば、公園で日が暮れるまで探して、やっと見つけた四葉のクローバー。そのままではとっておけないと知って、母に習って押し花にし、しおりを作った。綺麗な色をした紙に載せ、ラミネート加工をしたそれは、もしかすると今でも使えるかもしれない。……だがよくよく考えてみると、思い出には続きがあった。しおりらしく紐をつけようとする際、穴をあける作業が楽しくなってしまった私は、せっかくきれいにできたそれを穴だらけにしてしまったのだった。けれどもクローバーの部分だけは無事だったためにもったいなくて、とっておいていた気がする。
例えば、カラフルな折鶴。幼稚園の行事でもらった色紙を使って、下手くそながらも作った鶴たち。……全部繋げて千羽鶴のようにしようとしたけれど、結局、十も完成しないうちに飽きてしまった記憶がある。ただ、できたものだけは大層褒められたので、捨てずにカンカンの中へ入れたのだった。
例えば、星の砂が入った小瓶。小学生の頃、クラスの子がお土産にくれたものだった。振るとさらさら音を立てて、行ったこともない南の海を勝手に想像して遊んでいたような気がする。……けれども砂にどうしても触れてみたくて、無理やり栓を引っこ抜き、中身をぶちまけたはずだった。だから瓶の中には、もとの半分以下しか砂は入っていなかったように思う。
例えば、手帳。水玉模様の表紙が可愛いくて、一目で気に入った。予定を手帳に書いて管理するというのもなんだか格好良くて、まるで大人になったような気分を味わいたかった。……相当ねだって買ってもらったものだったと思うが、何かでたらめならくがきをしたきり、持ち歩きもしなくなった。手に入れたことで満足してしまったのだろうと、今なら思える。
そんなふうにして、このカンカンにはがらくたばかりが詰め込まれていた。がらくたでも、当時の私にとっては宝物だった。現在、カンカンを見るだけで記憶をよみがえらせることができるくらいには、大切にしていたのだ。
他には何が入っていただろうか。もっと懐かしいものがあるだろうか。私はカンカンの蓋に手をかけた。思ったよりも固かった。思い切り力をこめて引っ張ってやろうとも考えたが、星の砂のように中身をぶちまけてしまいそうで、一気に開けることは躊躇われた。
少しずつ位置を変えながら、蓋の周りをぐるりと一周して引っ張ると、蓋は漸く外れた。私はわくわくしながら、軽くなった蓋を取り除いた。
そして唖然とした。中身は想像していたものとは全く違ったのだ。
きれいなビー玉も、穴だらけのしおりも、カラフルな鶴も、ほとんど中身のない小瓶も、水玉の手帳も、そこにはなかった。それ以外のものも、何も入っていなかった。カンカンの中は、空っぽだったのだ。
そうして私は、やっと最後の記憶にたどりつく。幼少期にがらくたばかり集めていた自分を、恥じたときのことだ。
当時の私は、何か本を読んで、その内容にかぶれたのだった。全てを捨てて大人になろうと、必死になったのだ。
カンカンにしまっていたかつての宝物を全て処分し、外身だけは何かに使えるかもしれないと思ってとっておいた。そのことをすっかり忘れて、年月が経った今、封印を解いたということだ。
思い出が真実であったという物証は、すでになくなっていた。日々のできごとは、私の記憶の中だけに留められている。掘り返して「懐かしい」と思っても、それが本当にあったことだったのか、詳細はいったいどんなものだったのか、もはや知る術はなかった。
ビー玉をくれた友人は、どこかへ引っ越していった。数年前に久しぶりに名前を聞いたと思ったら、遠い町で自ら命を絶ったという話だった。
しおりの作り方を教えてくれた母は、私と父を置いて出て行き、その後の消息はわからない。あの人は手芸も好きだったが、それ以上に外国と男の人が好きだった。
通っていた幼稚園は、次第に子供が少なくなり、ついに潰れてしまった。建物があった場所は、一度更地になったあと、パチンコ店の駐車場になった。
星の砂をくれた子は、もともと大して仲良くはなかったこともあって、その後の情報は少しも入ってこない。どこかで生きていたとしても、クラスで目立たなかった私のことなど忘れているだろう。
手帳を買ってくれた父は、先日この世を去った。離れて暮らしていた私には内緒で癌の治療をしていたそうだが、転移に転移を重ね、もうどうしようもなくなっていたのだと医者から聞いた。
私は、父の遺品を整理しに、久方ぶりに実家に帰ってきていたのだった。そうして押入れから、このカンカンを発見したのだ。
しばらく、カンカンを見つめていた。中身のない、空っぽのカンカンの底には、私の無表情な顔が映っていた。
が、そのうち、ぽたりぽたりと水が入った。カンカンに、何年かぶりにものが入った。
底に映った私の顔は、歪んでいた。友人の訃報を聞いたときも、母がいなくなったときも、父の死に顔を見たときも、表情は変わることがなかったのに。
私はカンカンを抱きしめた。そうして誰も聞くことがないと知っていて、たとえ聞かれていたってかまいやしないと思って、思い切り声をあげた。