三日目の朝は、ペンションのオーナーが作ってくれた焼き立てふかふかのパンから始まった。礼陣商店街が誇る加藤パン店のパンももちろん美味しいのだが、それとはまた違う美味しさだ。けれども夕食ほど楽しんで食べられないのは、昨夜の事件のせいだった。

 新が女子に告白されたこと。それを断ったことで、彼が激昂したA組の女子達に詰め寄られたこと。止めに入った詩絵達も巻き込んで騒ぎになってしまい、研修の自由時間が減らされてしまったこと。千花がA組女子にさらに目をつけられるのではないかという不安があること。どれも食べることが好きなはずの春を憂鬱にさせるには十分すぎる要素だった。

――ううん、新が告白されたのは憂鬱じゃない。そうじゃなくて、問題は千花ちゃんが大丈夫かどうかだよね。

 ちぎったパンを頬張りながら、現在の千花の立場について考える。昨日の騒ぎの中で、千花の姿もA組の女子達に見られている。千花が新に好意を持っていると思っているらしい彼女らが、何をするかわからない。

 けれども今日は千花達とほとんど合流できない。班行動で、見学に行く場所も別々なのだ。ホテルに行ってからも部屋から出ることはあまりできないことになっているので、ほぼ会えないことになる。少なくとも昼間は、千花と同じ班である新に任せるしかないのだ。

「春、早く食べちゃいなよ。支度して、午前中は移動、午後は研修。……千花のことは、こっそり情報収集するから」

 詩絵も同じことを考えていたらしい。すでに食事を終えたらしいその表情は、とても美味しいものを食べた後のようには見えなかった。

 ペンションのオーナー達に深く礼をしてから、中央中学校御一行様はまたバスに乗り込む。ここから次の目的地である都会の町までは距離があり、午前中はほぼ移動に費やすことになる。途中で昼食をとり、まずは今日宿泊するホテルに荷物を預けてから、あらかじめ決めておいた企業や専門学校などの見学をすることになっている。春達の班は製菓の専門学校に行くことになっており、聞いた話によると、新と千花の班は情報系の専門学校に行くらしい。見学が終わってから各自で夕食をとってホテルに帰るという流れである。

 千花に会えない。新にも会えない。自分たちの知らないところで、また初日のような嫌がらせがあったらと思うと、春と詩絵は苦しくもどかしい気持ちになるのだった。

「そもそも、どうして千花ちゃんがあそこまで目の敵にされなくちゃいけないの? 一年生のときから、羽田さんや佐山さん達とは折り合いが悪かったんだよね。何かあったの?」

 バスの中で、春はこっそりと詩絵に尋ねた。ちょうどバスガイドの挨拶と、これから向かう都会の町の説明が終わったところで、みんながうとうとし始めた頃だった。連日夜更かしをしているのだから、適度に涼しいバスの中はつい眠くなってしまう。昨日までは元気いっぱいだったひかりですら、目を閉じてじっとしていた。

 詩絵も欠伸をしていたが、春の問いにはちゃんと答えてくれる。

「佐山達はさ、たぶん、千花が羨ましいんだよね。アタシも一年生のときは千花とクラスが違ったからよくわかんないんだけど、千花の持ってるいろんな要素が、佐山達の気に障ったんだと思う」

 詩絵が千花と知り合ったのは、一年生のときだという。だが、当時も今のように違うクラスだった。偶然詩絵が千花に話しかける機会があって、それから仲良くなったのだ。――その機会も、千花が佐山達に疎ましがられていたことで得られたものだったというのが皮肉だが。

 以前、千花が「詩絵ちゃんに助けてもらった」と言っていたことを、春は思い出す。嫌がらせをされていた千花を見かけた詩絵が助けに入ったことを想像することは容易だ。春もまた、詩絵に手を差し伸べられたことで友達になったのだから。

「千花ちゃん、嫌われるような要素なんてないと思うけど」

「だから、羨ましがられてるの。嫌いなんじゃなく、気に食わないんじゃない?」

 千花は明るくて、可愛くて、育ちも良さそうだ。実際、千花の父親は礼陣の隣町である門市にある、大きな会社のそこそこ偉い人なのだという。長い休みには毎回千花を連れて、海外旅行にも行くらしい。春も去年、千花から北欧のどこかの国のお土産をもらったことがある。

 吹奏楽部ではフルート奏者として素晴らしい演奏をする。中央中学校には千花のほかにフルートを演奏できる生徒がいないこともあり、人数の多い吹奏楽部の中でも当然のようにレギュラーメンバーになる。操る楽器だけでなく自身の声もとてもきれいで滑舌が良く、放送委員としてのアナウンスなどはとても評判が良かった。学業成績も文句の付けどころがない。

 加えて、去年まで生徒会長だった先輩ととても仲が良かった。今も家が隣ということで親しくしているらしい。その人のことは春も知っている。とてもきれいで、全校生徒の憧れの的だった。その人はもう卒業してしまったが、今でも時折話題になるくらいの有名人だ。その妹が現在二年生にいるのだが、やはり人気があるらしく、生徒会にも入っている。もちろん千花とも仲良しだ。

 周囲から見た千花のイメージは、大きな後ろ盾を持っている、才に溢れたお嬢様といったところだろうか。その後ろ盾は、現在では先輩ではなく、詩絵や新になっているのだろうと春は思う。教師陣からも評価は高い。

「千花はすごいよ。アタシだって尊敬する。……でも、羨ましいって気持ちが憧れや尊敬じゃない、もっと嫌な感情になることだってあるんだよ。立派なお父さんがいたり、みんなから大人気の先輩に真っ先に近づいていくことができたり、先生達からよく褒められたり、可愛いから男子の人気も集めちゃったり……そんな千花を、図々しいとか、人に媚びて贔屓されてるとか、可愛い子ぶってるとか、そんなふうに評価するやつもいる」

 詩絵は過去に、そんな「相談」をされたことがあった。頼りがいのある詩絵は、色々な方面から話を持ちかけられることが、昔から多かった。その中に、千花に関するものもあったのだ。

――なんか園邑さんって、図々しくない?

 そう言ったのは、吹奏楽部に所属している子だった。そのときの詩絵は一通り話を聞いたあとに「単に気の持ちようじゃないの、本人に非はないと思うけど」と返してから、相手の良いところを褒めまくった。相手は気分を良くして、以降はあまり千花に対する不平を言わなくなった。誰にだって個々の良いところがあるのだから、羨むならまだしも恨みがましく愚痴を言うなんておかしい。そんな詩絵の考えに、春も同意した。

「佐山さんや羽田さんも同じなら、そうやって説得すればいいんじゃないかな」

「佐山はアタシのことも気に食わないらしいからね。アタシは昨日みたいによくでしゃばるから、それがうざいって思ってるみたい。羽田は佐山にくっついてないと不安ってタイプ」

 羽田のような子が他にも何人かいて、A組女子の一グループをつくっているのだという。一部の生徒は詩絵と佐山を「猿山のボス同士」と揶揄するくらいだ。女子に対して、失礼なものである。とにかく、佐山は詩絵に対して聞く耳を持たないのだ。しかしながらどこかでは詩絵に勝てないという気持ちもあるようで、詩絵と仲良くしている千花を「強いやつに媚びている」と言っているらしい。

「佐山に目をつけられたくないから、千花のこと見て見ぬふりしてる子も多いんだよね。今の吹奏楽部の子はだいたいそうかも。さっき話した子が納得してくれてからは、部活関係で変な話は聞かないから」

「加藤はよく知ってるな」

 小声で話していたつもりなのだが、周囲が静かだと目立つのは仕方がない。話の一部始終を聞いていたらしい井藤が、徐にやってきて補助席を出し、そこに座り込んだ。詩絵は「うあっ」と変な声が出て、春は目を真ん丸にする。

「何してんの井藤ちゃん。自分の席戻りなよ」

「いやいや、大事な話を聞き逃すわけにはいかないだろ。一応俺だって、去年は園邑の担任だったんだ。それに服部先生からも相談されてる」

 現在のA組は、千花を好んでいなかったり遠巻きにしている女子と、それが面倒で関わりたがらない男子で構成されている。担任の服部は、さぞかし胃が痛いことだろう。女子の様子を見るのは女性教員に任せなければならないので、かなり歯痒い思いをしているはずだ。

「服部さんはクラスを何事もなく運営させたいのかと思ってたけど。ええと、事なかれ主義ってやつ?」

 詩絵の不満げな発言に、しかし、井藤は首を横に振った。

「服部先生はそんなタイプじゃないぞ。さっき加藤が言ってた通り、園邑が目をつけられやすいのは目立つからだ。目立つのに、おとなしい。だから佐山達も、園邑より上に立とうとするんだろう。それがみんなの前で、先生に『園邑さんを虐めるのはやめましょう』なんて言われたら、いよいよ園邑は学校に来られなくなる。……いや、強い子だから学校には来るかもしれないけど、『虐められてる可哀想な子』として見られ続けてしまう。かといって犯人捜しみたいな真似をすれば、新たな虐め問題を招きかねない」

「それで服部先生は、千花ちゃんをどうやって助けたらいいか悩んでるんですね」

「だとしたら、千花が自分から助けを求めないのも、服部さんが動きにくい原因でしょ。あの子、いつも自分のことは『大丈夫』で済ませようとしちゃうんだから。それが余計に佐山たちの癇に障るんだろうね」

 もしも千花がすぐに服部に助けを求めていたら、服部は当人たちを呼び出して説教することもできただろう。だが、それだけではだめなのだ。説教をされたあと、佐山たちが状況を「園邑がチクったからこうなった」ととらえたら、千花への風当たりはさらに強くなってしまう。何をしても悪い方向に転ぶ可能性だらけで、なかなか動けない。だが、千花にじっと耐えさせるというのは間違っている。

「井藤ちゃん、アタシ、昨夜ので佐山達にキレちゃったんだよね。千花がアタシに全部喋ったって、思われてないかな。また千花に我慢させるようなことになってないかな」

「あとで服部先生に様子を訊いてみるよ。そもそも、昨夜の騒ぎの原因って何なんだ? どうして女子の中に入江がぽつんと混じってたんだ」

「あー……それは井藤ちゃんが頑張って察して。アタシからは言えないや」

 後ろめたいことがあるから隠すのではない。詩絵はきっと羽田を庇ったのだと、春は思った。あの騒ぎの発端はA組女子であり、さらにいえば新に告白した羽田だ。彼女の気持ちと、それが事件の原因であるということを、詩絵は言いたくなかったのだ。それは自分が言うべきことではないと思ったから。結局のところ、詩絵は誰にでも優しいし、誰にでも厳しいのだ。だから人に頼られるのだろう。

「まあ、とにかく。今日のところは、加藤も須藤も研修に集中しろ。『修学』旅行だからな、しっかり勉強しろよ。園邑達の班が行くところは怖ーい舟見先生が引率だから、研修のあいだは問題ないはずだ」

「うん、わかった。ありがとう、井藤ちゃん」

「俺は何にもしてないけどな」

「先生たちが千花ちゃんのことすごく考えてくれてるのがわかって良かったです。でも、できれば大人として、佐山さん達をちゃんと叱ってあげてください」

「そうだな。ちゃんと解決しないとな」

 井藤が力強く頷いてくれたので、春と詩絵は少しホッとした。バスの窓から見える風景に高い建物が増えてきたところで、二人はようやく本日初めての笑顔を浮かべることができた。

 

 一晩たって、A組の中で話題になっていたのは、新がいかに酷い男かということと、千花が詩絵に「チクった」から昨夜のような騒ぎが起きて自由時間が減らされたのだということだった。正確にいえば佐山がそう吹聴し、女子の一部がそれに同調しているだけで、他の者は知らないふりを決め込んでいる。

「入江が酷い男じゃないってことは、俺たちがよく知ってるからな」

 筒井や沼田をはじめとする男子一同は、新の味方をしてくれている。だが、千花を助けられる者はいなかった。それは新にしかできないことだったはずなのだが、今では何をしても火に油を注ぐだけになってしまった。

 千花は何も言わないが、状況は最悪だ。バスに乗ってから昨日の騒ぎについて服部からの説教があったが、佐山達は意に介していない。「新と千花のせいで自由時間が減った」の一点張りで、自分達が悪いなどとは思っていない。少なくとも新にはそう見える。

 それに、佐山は果たして気づいているのだろうか。一緒にいる羽田が、「振られた」ということを男子もいるこのバスの中で公開されて、気まずそうにしていることに。はじめのうちは「入江君に酷いことをされた可哀想なあたしを友達が慰めてくれている」という状況をそう悪くないと思っていたようだったが、次第に俯きがちになってきている。ときどき「もういいよ、佐山ちゃん」と蚊の鳴くような声で言っているのが、耳に届いた。

「バスの中で騒ぐと、またペナルティが増えるぞ。現地につくまでおとなしくしていなさい」

 服部に注意されると、佐山はふてくされたように足を組んで、窓の外を見ていた。誰も自分から喋ろうとしない車内は、まるで通夜のようだ。バスガイドも戸惑っていて、「何か言ったほうが良いでしょうか」と服部に確認をとっている。もうこれから行く場所の説明は終わってしまい、今は窓の外にも特に名所は見当たらない。引率教員に尋ねてしまう時点でガイドとしてはあまり良くないのかもしれないが、現状では仕方がないとしか思えなかった。

 新も窓の外に目をやる。高層ビルが立ち並び、大きな看板が目立つようになってきた。小学生の頃の新が住んでいた町によく似た風景だ。学校でも家でも勉強だけに集中させられ、つまらないと思っていた、あの頃の景色。いや、当時はそれを見る余裕もなかったか。それなのに私立の中学ではなく、引っ越し先の公立の中学に通うことになったのはどうしてだったのだろう。

 そんなことより、昨日の騒ぎに巻き込んでしまった詩絵達はどうなったのだろうか。あの場にいた春と千花は、何を思っただろうか。今朝、千花は「大丈夫」とまた曖昧な笑顔を浮かべていた。そういう千花が大丈夫なはずはないというのはとっくに承知の上だ。

 春は、新が告白されるところを見ていたのだろうか。見ていなかったとしても、あれだけ騒いでいれば状況はわかっただろう。羽田の告白は断ったが、それに対して春はどんな思いを抱いただろうか。A組の一部の女子達のように、「酷い奴だ」と思っただろうか。……いや、春に限ってそれはない。そう思いたい。

「それでは、昼食のために一度休憩します。その後、今度は市街地に入っていきます」

 笑顔をつくりながら、バスガイドが案内をした。車内は静まり返ったまま、服部の「ありがとうございます」という言葉だけが響いた。

 

 昼食は道の駅でとることになっている。しかし、平日とはいえ百二十人もの子供達が一気に押し寄せては混むのも当然だ。あらかじめこうなることをわかっていた店の人達は、すぐに昼食を出せるように準備をしておいてくれていたが、それを手に入れるための食券を買うまでが一苦労だった。

 やっとのことで使い捨ての丼に入ったうどんを持って、詩絵と春は人混みの中から抜け出した。せっかくいい天気だ、道の駅の中にある飲食コーナーではなく、外で食べることにした。そのほうが混雑もしていない。ただ、ここまで来る途中でうどんのつゆを少しこぼした。

「あーもったいない……」

「制服にかからなかっただけ良いじゃん。千花と新はどこかな、まだお昼をゲットできてなかったりして?」

 詩絵は辺りを見回して、友人達の姿を捜した。でも、今は捜すだけだ。昨夜の騒ぎの関係者同士なのだから、みんな一緒にはいられないだろう。けれども千花を放っておくわけにもいかない。彼女だけは、見つけ次第こちらへ呼ぶつもりだ。新はクラスメイトの男子達とうまくやるだろう。離れていて困ることといえば、バス内の千花の様子を聞き出せないことくらいだ。

 しばらくして、人だらけの道の駅の建物の中から、千花が抜け出してきた。手にはおにぎりの入ったプラスチックのパックを持っている。若干潰れているように見えるのは、人に押されたせいだろう。その姿を発見した詩絵と春は、すぐにそちらへ向かった。

「千花、一緒に食べよう。今日はここでしか会えないし」

「うん。あ、詩絵ちゃんと春ちゃんはうどんにしたんだね。私も迷ったんだけど……」

「おにぎりのほうが正解かも。こぼしちゃったし」

 他愛もない話をしながら、青空の下で昼食をいただく。それは初日と同じなのだが、今日は時間がない。食べ終わればすぐに集合がかかって、またバスに乗らなくてはならない。それから先は、千花とは別行動だ。

「千花は情報専門学校に行くんだっけ」

「そうだよ。パソコンでデザインをしたりするのを、ちょっと教えてくれるんだって。面白そうでしょ。詩絵ちゃんと春ちゃんは、調理関係だっけ」

「そう、製菓コース。お菓子とかちょっと食べさせてもらえないかな」

「春は食べることとなると本当に幸せそうだよね。アタシは将来家を継ぐかもしれないから、何か役に立つことを教わりたいな」

「詩絵ちゃんのおうち、パンだけじゃなくてケーキやドーナツも作ってるもんね」

 午後の研修のことを、班には触れないように話す。意識しなくても避けてしまう。佐山達のことは、今は話題にしたくない。結局、研修内容のことだけをちょっとだけ話して、昼食を終えた頃に集合時間となってしまった。

「それじゃ、『修学』しに行きますか。千花、新が何してたか、あとで細かく教えてね」

 ごみをきちんと分別して捨てながら、詩絵が言う。要するに、同じ班である新からできるだけ離れるなということだ。

「はーい。春ちゃんも知りたいだろうし、よく見ておくね」

「もう、千花ちゃんってば……」

 詩絵の真意をわかった上で、いつものごとく春を弄りながら、千花は返事をする。離れてもいけないが、近づきすぎてもいけない。ちょうどいい距離を保って、佐山達をこれ以上刺激しないように心がける。それが午後からの、千花のミッションだ。

 春にはそれを応援し、千花の無事を祈るくらいしかできない。正直なところ、新と羽田の関係も気になるが、それは二の次だ。千花がつらい思いをしないことが、一番の望みだった。

 一方、新は昼中、クラスメイトの男子達に保護されていた。女子に近づけば「最低男」扱いなので、庇ってもらっていたのだ。一人の女の子を振っておいて、他の女の子と仲良くすると、またおかしなことを言われてしまうことは予想できる。今日は春達とのひとときを我慢して、道の駅の少々油っぽいラーメンを啜った。普段あまり食べないものなので、なんだか新鮮だ。この地味な感動を春達に伝えられたらどんなに良かっただろう。ふと湧き水を飲んだときのことを思い出して、たった二日前のことなのに懐かしくなる。

「入江。午後の研修は、佐山達のことは気にしないで、園邑さんと自然に一緒にいてやれよ」

 沼田がラーメンの器を空にしてから、念押しするように言った。

「オレが一緒にいて、千花は大丈夫だろうか……」

「大丈夫なように、俺と沼田であいだに入るよ。女子にはめんどくさいから関わりたくなかったけど、お前を助けるなら別だ」

 筒井も頼もしく笑う。初日に見せた皮肉のこもった笑みとはえらい違いだ。この短い期間で、彼らと友達になれて良かった。新は「よろしく頼む」と二人に頭を下げた。

 集合の合図で生徒たちは各クラスに分かれ、バスに乗り込み点呼がとられる。市街地に向かって走り出したバスの窓からは、都会の色が見えていた。いよいよ次の大きなイベント、都会研修が始まる。

 

 バスから降りた生徒たちは、まず荷物をホテルに預けてから、それぞれの班に分かれる。ここから引率教員に連れられて、公共の交通機関を使いながら研修場所へ向かうのだ。この研修には専門学校が三つ、企業が二つ協力してくれることになっている。

 詩絵、春、ひかり、浅井、塚田、牧野の班は、井藤の引率で調理師専門学校の製菓コースを見学する。他のクラスの同じ研修を選んだ班も一緒に行くので、二十四人の生徒が連れ立っていくことになる。地下鉄に乗っていけばすぐに到着するということだが、なにしろ二十四人が一斉に、ほぼ初めての地下鉄体験をするのだから、戸惑いは大きい。切符を買うのにも時間がかかってしまう。

「まあ、一本逃したところで地下鉄なんかすぐ次のが来るから、予定の時間には十分間に合うんだけどな」

「列車がすぐ来るっていうのがすごいよね。礼陣だと一本逃したら一時間半は次のが来ないから、大遅刻になっちゃうのに」

 そこが都会と田舎の差なのか、と思う。焦らず落ち着いて、団体で乗り込んだ地下鉄は、予定通りに春達を目的地近くの駅まで運んでくれた。地上に戻ると、むわりとぬるい空気が体を包む。「暑い」「礼陣よりむわっとしてる」などと文句を言っていると、井藤がすかさず「都会だからな」と返した。山に囲まれた自然いっぱいの礼陣に比べ、高層ビルなどの反射物が多いこの町は気温が高いように感じる。滲む汗を拭いながら歩くと、研修を受けさせてもらう専門学校に到着した。中に入ったときの涼しさに、思わず溜息が漏れる。

 それと同時に何か美味しそうな匂いがして、昼食をとったばかりだというのに、生徒達は生唾を飲み込んだ。そう、ここは調理師専門学校なのだ。今この瞬間にも実習を行なっているクラスがあるのだろう。

「お腹すいてきた……」

「春、アンタ正直だね。もうちょっとお昼食べておけば良かったんじゃない?」

「ううん、きっといくら食べても同じだったと思う。私、美味しいものには弱いから」

 しかし、ここでの目的は食べることではない。学ぶことだ。案内をしてくれる職員に挨拶をしてから、一同は奥へと進んでいった。

 新、千花、筒井、沼田、佐山、羽田の班も、他のグループと同じ頃に出発した。引率は学年主任の舟見、研修場所は情報専門学校だ。ホテルから一番近かったために、地下鉄などは使わず徒歩で移動する。

 厳しい舟見がついているので、このグループが騒いだりすることはない。ひそひそ話すらも地獄耳にとらえられてしまう可能性があるので、黙ってきれいな列をつくり歩く。おかげで他の歩行者の邪魔になることはなく、そして都会の街並みをじっくり見ることもできないまま、目的地に辿り着いた。何事もなかったのは、千花や新にとっても安堵できることだった。

「本日はよろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 声を揃えて礼をする生徒達を、専門学校の職員は笑顔で迎えてくれた。まずは大講義室で、プロジェクターを使った学校案内があるというので、ぞろぞろとそちらへ向かう。講義室に入ってからの席順は、佐山達と千花を離すようにした。そして千花の隣には、新がさりげなく座る。逆隣はほとんど接点のない他のクラスの生徒なので、何も心配することはないだろう。

 それを見た佐山と羽田は顔を見合わせて何か言いたげにしていたが、舟見の監視のもとではお喋りはできない。そんなところを見つかれば、すぐに叱られるだろう。ただでさえ、昨日の騒ぎで目をつけられているのだ。

 学校案内を聞きながら、新は千花をちらりと見る。別段変わった様子はなく、真面目にメモをとっている。このまま何事もなく終わればいいと思いながら、新も説明に耳を傾けた。

 

 学校案内が終わってから、調理師専門学校グループは実習をさせてもらうことになった。時間も技術もないので、簡単にできる菓子を作るだけなのだが、普段の調理実習とは違ってプロに教わることができる。将来のため、と詩絵は張り切り、美味しいお菓子のため、と春とひかりは意気込む。男子にあるのはもちろん食い気である。

 お題はパウンドケーキだ。材料を量って混ぜ合わせ、ドライフルーツを入れて焼き上げるだけなのだが、うまく膨らませる方法や美味しそうに仕上がるコツなどを教わった。製菓の専門だけあって、先生の指導はなかなか厳しい。しかしなぜか井藤が「筋が良い」と褒められていた。生徒達としては負けたくないところだ。

 詩絵はケーキも扱うパン屋の娘として手際よく進めたいところだったが、自己流のやり方を途中で何度も注意された。そこではたと、そういえば店の手伝いはしていても、ものを実際に作らせてもらったことはなかったなということに思い至る。帰ってから父にでも聞いてみようか。

 春は普段から料理をしていることもあって、コツを掴むのは早かった。めったにしないお菓子作りだが、今度家でやってみてもいいかもしれない。そのときは、詩絵や、千花と新も呼ぼう。みんなで一緒に作って食べるのは、きっと楽しい。

 一年生のとき――春がまだ詩絵達と知りあっていない頃――行事に炊事遠足があった。今と同じようにクラスで班をつくり、野外でカレーなどを作って食べた。あのときはそれはそれで楽しかったけれど、きっと今の友達とそんなことができたら、賑やかで鮮やかな思い出になるだろう。夏休みにやりたいことが、また一つ増えた。

 混ぜた材料を型に流し込んで、オーブンに入れる。型は紙製で、ひとつひとつ模様が違うので、どれが誰のものなのかはすぐにわかるようになっている。ふざけながら作業をしていたように見えた男子のものが真っ先に膨らみ始めて、おお、と歓声があがる。けれども「これから萎みますからね」という先生の言葉で、彼らの心が先に萎みそうになった。

 甘い匂いでいっぱいの部屋の中、できたてのケーキに目を輝かせる生徒達。一人で一つずつ作りあげられたという達成感と満足感、そしておやつの時間の空腹感が、ケーキをより美味しそうに見せていた。春もうまく膨らんだケーキを眺めて笑顔を浮かべる。詩絵は真剣に完成品を見つめ、難しそうな顔をしていた。

 パウンドケーキは少し冷ましてからが食べ頃なので、そのあいだにまた学校の案内などを聞いた。進路として考えてみてくださいね、と先生が締めくくってから、各自にプラスチック製の小さなナイフが配られる。いよいよお待ちかねの試食タイムだ。ナイフをケーキに刺し入れると、すうっと沈んでいく。断面には細かく切られたドライフルーツがちりばめられ、とてもきれいだ。底のほうに沈んでいる生徒も何人かいたが、それはそれで可愛らしい。

 どきどきしながら、春はそっと切れ端を口に運んだ。表面はさくっとしているけれど、あとはふわふわだ。甘すぎない生地に、ドライフルーツが良いアクセントになっている。ひとことで言えば、とても美味しい。とろけそうな表情の春を見て、ひかりが「やったじゃん」と脇をつついた。

 一方で、詩絵は無言でケーキを食べていた。表情も硬いままだ。同じ作業台にいた浅井に「どうした」と声をかけられ、ハッとしてから、困ったように笑う。

「うーん……なんかさ、……うちのやつのほうが美味しい。父さんには敵わないなあって、実感してたとこ」

 レシピには問題はなかっただろう。先生の指導も良かった。けれども詩絵は、実家の味には勝てないと思った。それは詩絵の腕のせいかもしれない。「いつもの味」に慣れすぎたのかもしれない。とにかく、まだ「実家を継ぐ」などとは言えないことがはっきりした。当然のことだとはわかっていても、少し悔しかった。

「もっと家の手伝いしなきゃね。旅行中は弟に任せっきりだし、帰ったらがんばらないと」

 呟くように言った直後に、春が詩絵に跳びついた。片手にはパウンドケーキを一切れ持っている。「おっと」と声を漏らした詩絵に、嬉しそうにそれを差し出した。

「詩絵ちゃん、交換しようよ! おんなじのだけど」

「え、でもアタシの美味しくないよ?」

「そんなはずないよ、同じ作り方してるんだから。詩絵ちゃんのほうが真剣だったし。だから、はい、私の」

 春からパウンドケーキの一切れを受け取ってから、自分で作った一切れを渡す。同時に食べると、春がすぐに満面の笑みを詩絵に向けた。

「美味しいよ! 私のより美味しい。やっぱり詩絵ちゃん、さすがだね!」

「あ、ありがと……。春が作ったのも美味しいよ。アタシは、春のが美味しいと思うな」

 楽しそうに作っていた春のパウンドケーキは、本当に美味しかった。素直に美味しいと思えた。「今度みんなでまた作ろうね」と言う春に、詩絵は目を細めて頷いた。

 

 情報専門学校に行ったグループは、学校案内のあとにコンピュータを使って実習をしていた。基本的な操作から、ソフトウェアの使い方まで教えてもらい、生徒達は実習を楽しんでいた。本来ならもっとレベルの高い授業をしているのだろうが、中学生の見学者向けなのだからこれでいいのだろう。

 多分この先、新がこのような学校に関わることはない。こっち方面でやりたいことは、今のところ見つからない。親の言う通りにするのなら、その可能性はもっとなくなるだろう。求められているのは、全く別の進路だ。

 千花にも多分、ほとんど関係のないことだ。でも、彼女は真面目にディスプレイに向かっている。くじ引きで決まった研修先で、誰よりも真剣だった。説明をしているとき以外は生徒同士で相談をしてもいいということで、多くの生徒はお喋りをしながら実習に取り組んでいたが、千花だけは一人、背筋を伸ばして、手を動かしていた。けれども無表情なわけではなく、操作などがうまくいったらしいときには嬉しそうに微笑んでいた。春や詩絵がいたら、きっと一緒に喜んでいただろう。

 なんでもできて、なんでも楽しめる。そんな千花を、新は羨ましいと思った。そして多分、佐山達もそうなのだろうと思い至った。羨ましいから、妬むのだ。いつも楽しそうに笑っている千花が理解できなくて、理解しようとしなくて、虐めという行動に発展しているのだろう。

 そんなことをふと考えたのは、自分が今、都会の街にいるからかもしれない。ここにいると、毎日が面白くなかった小学生の頃の自分を思い出してしまう。いや、少しは楽しいこともあったはずなのだが、思いだせないのだ。

 礼陣に引っ越しをし、中学生になってから弓道を始めた。それが新の心に一点の色をつけた。中学三年生になって、春に恋をし、詩絵そして千花に出会ってから、色はもっと増えて広がった。礼陣という田舎町で過ごした日々が、新にとっての「楽しい日々」だ。

 もしも引っ越しをせずに、環境が何一つ変わらなかったら、新は佐山達と同じように誰かを羨み、妬んでいたかもしれない。勉強ばかりに縛られず、自由に遊ぶ、そんな誰かを。礼陣でだって、春達に出会わなければそうなっていたかもしれないのだ。――そういえば、千花が春と友達だということを知る前、自分は彼女のことをどう思っていたのだったか。

 答えは、「気にも留めていなかった」。そんな余裕は新にはなくて、親が押し付ける勉強のことを忘れられる、弓を引いているときが一番心の安らぐときだった。集中が必要な時に安らぐだなんて、おかしな話だったが、たしかにそうだったのだ。もしもそれすら取りあげられて、ふと周りを見ることがあったら、新はきっと他者に嫉妬していた。その自由さを羨ましがって、けれども自分からそこに手を伸ばすことはできなくて、恨みつらみが溜まる一方だっただろう。

 今ディスプレイを見て笑顔を浮かべる千花のことも、「どうしてこんなことを楽しそうにできるんだ」と思っていた。友達なのに、そう思った。友達じゃなかったら、きっともっと酷いことを考えていた。馬鹿にしていた。佐山達と何ら変わらないことを、新だって思っていた可能性があった。

「千花」

 自然に一緒にいてやれよ、という沼田の台詞を思い出して、新は千花に話しかけた。千花は首を傾げながらこちらを向いた。いつもの千花だった。

「どうしたの、新君? 私、今の関数できたよ」

「オレもできた。……でも、オレこれ知ってて、あんまり面白くないんだ」

「そうなの? 私は面白いと思うなあ」

「どうしたら面白くなる?」

 修学旅行も、最初は面白くないだろうと思った。でも、千花が期待をくれた。実際に来てみたら、楽しいことはいくつもあった。腹立たしいこともあったけれど、それでも楽しいことは楽しかった。

「自分で面白いと思うことを作っちゃえばいいんだよ」

 一番つらい思いをしているであろう千花が、そう言っている。そうやって、面白いことを作っては、痛みを紛らわせ、耐えてきたのだろうか。――いや、面白いことを考えている時の千花は、自分の心の痛みのことなんか考えていない。新のことをけっして無視しないのが、何よりの証拠だ。変な噂にならないように、新との接触を避けることだってできるはずなのに、千花はそれをしない。

「この関数だって、ここの数字を変えたら、サイコロじゃなくてくじ引きみたいなこともできるんだよね。新君は知ってることだから面白くないって言うけど、知ってたら他の面白いことができると思わない?」

「千花は、そうやって面白いことを作ってるのか」

「そうだよ。私、自分が面白いと思うことを考えるの、得意なの」

 千花は自慢げに笑って、また正面に視線を戻した。説明が始まったのだ。一気に静かになった教室で、新も講師の説明を真剣に聞くことにした。それがすでにわかっていて、退屈なことだとしても、どこかで何かの役に立つかもしれない。

 

「ありがとうございました!」

 研修を終えた製菓コースグループは、お礼を言って専門学校を後にした。

 ここからはほんの少しだけ自由行動となる。すでに午後五時をまわっているが、七時までにホテルに戻れば、そのあいだは街を見てまわれる。ただし、夕飯をしっかり食べてくるか、買ってこなければならない。もちろん班行動だ。

 本来、この部分の自由時間は八時までとなっていた。けれども、昨夜騒ぎを起こしてしまったので、一時間短縮になったのだ。ちなみに明日の自由研修の時間も、最初の一時間を説教と注意にあてることになったので、短くなってしまっている。

「本当なら、ちょっとお土産見る時間もあったんだけど。今日はご飯食べたら終わっちゃうね。みんな、ごめん……」

「詩絵ちゃん、もう謝りっこなしだよ。それよりご飯ご飯!」

 さっきパウンドケーキを作って少し食べ、残りがラッピングされて鞄の中に入っている状態なのに、春の食い気は収まる気配がない。何度目になるかわからない詩絵の謝罪を受け流して、夕食を食べる予定になっているファミリーレストランに向かう。チェーン店なのだが、礼陣にはないので、行ってみようということになったのだ。

「須藤、本当に食うの好きだよな。チビなのに」

「また牧野君はチビっていう……」

「あんまり食ってると太るぞ。デブにならないように、俺がパウンドケーキの残りもらってやってもいいぜ」

「絶対あげない」

 牧野の「なりゆきで春の手作りケーキもらおう作戦」は失敗したらしい。詩絵は鼻で笑って、さっき交換でもしておけばよかったのにと思う。その点、浅井などは班の全員と交換しながら分けていたのでひかりの手作りも当然食べている。塚田も同じことを考えていたようで、牧野の肩を慰めるように叩いていた。

 到着したファミリーレストランの窓から眺める風景は、礼陣のものとは違う。礼陣の駅前よりもここは活気があって、所狭しと高層ビルが並び、たくさんの店が入っている。十階より高いビルのない礼陣では見られない景色を、春達は溜息を吐きながら眺めた。明日はこのメンバーで、昼間の街の中を歩くのだ。ここからも見える電波塔「ミヤコタワー」の展望台にも行く予定になっている。さすがに観光スポットだけあって、どこの班も予定に組み込んでいるらしい。もしかしたら千花や新にも会えるかもしれない。一度騒ぎを起こしてしまったから、あまり長い時間はとれないだろうけれど、少しでも顔を見られれば安心できる。

 今日一日は、無事に過ごせただろうか。向こうには学年一恐ろしい教師である舟見がついているので、佐山達も千花に手出しはできないはずだ。でも、この自由時間のあいだはどうだろうか。舟見の目が離れたとき、行動にでられたら。明日だって油断はできない。

 並んだ料理を見ながら、春と詩絵の考えることは同じだった。今頃千花と新は、どうしているだろう。

「早く食べないと、時間までにホテルに戻れないよ。そうしたら、また明日の研修時間が減っちゃう」

 ひかりに促されて、二人は頷き、料理を食べ始める。チェーン店のハンバーグは思ったよりも小さくて、あまり時間をかけずに食べ終えてしまった。

 

 新達は、夕飯はどこかで買って食べようということにしていた。ちょうど礼陣にはないような大きなデパートがあったので、めったに見られない「デパ地下」の雰囲気と店を楽しみながら選ぶことになった。

 佐山と羽田はデパートにはしゃいでいて、千花と新のことは気にかけていないようだった。待ち合わせ場所を決めてから、真っ先にどこかへ行ってしまう。残された男子三人と女子一人は、少し考えた後、それぞれ自由に動くことになった。千花が男子三人と一緒にいるという構図はできるだけ作らないほうがいいだろうという、筒井の判断だ。筒井と沼田は別方向に、夕飯になりそうなものを求めて歩いていく。新と千花は顔を見合わせ、結局一緒に動くことになった。また千花との関係を誤解されるかもしれないと新は思ったのだが、だからといって友達を避けるように行動するのも嫌だ。

「新君は、デパートとか慣れてるよね。大城市には大きいデパートあるし」

「最近は行ってないから、デパ地下も久しぶりだ。千花は来たことないのか?」

「あるけど、日本のデパートは小さい頃に来たきりかな。海外のマーケットなら、お父さんに連れて行ってもらうけど」

「海外……」

 こういうことをさらりと言ってしまうあたり、千花はやはり良い家のお嬢さんなのだろう。佐山達が羨むのも無理はない。でも、それが千花を攻撃する理由にはならない。だいたい、千花だって他の多くの礼陣っ子と同じように、デパ地下の空気にわくわくしているのだ。

「あ、このお弁当美味しそう! 私これにするから、新君は自分の選んでおいでよ」

「いや、千花を待ってるよ。一人でいても暇だし。それに、千花の海外話に興味がある」

「そう? じゃあ、ちょっと待ってて」

 千花が弁当を買っているあいだに、新は周囲を見回してみる。デパ地下で食べるものを買ってホテルに戻ろうと思った生徒は多いようで、同じ制服を着た者がそこかしこにいた。佐山と羽田が他の班にいる友人達と会って、楽しげに会話をしている姿も見える。ああしていれば、普通の可愛らしい女学生なのに。もったいないなと思いながら、新は他に視線を移す。

 これだけ同じ学校の生徒がいれば、どこかに春達もいるかもしれないという期待をしていたが、春や詩絵はおろか、牧野すら見つからなかった。ここには来ていないのだろうか。

「おまたせー。あ、春ちゃん達ならファミレスでご飯食べてくるって言ってたよ。だからここには来ないと思う」

「オレの心読んだのか?! なんでオレが春を探してるってわかったんだ?」

「新君がきょろきょろする理由なんて、春ちゃんくらいでしょう」

 いたずらっぽく笑って、千花は新の背中を押す。次に行こう、というように。神出鬼没で、考えを読むようなことを言う、千花は時々本当に不思議な子になる。もっとよく知れば、友達になってしまえば、こんなに面白い子はいないだろうに。

 適当に弁当を見繕って待ち合わせ場所に戻ると、まだ誰も来ていなかった。「ちょっと見てまわってくるか」と言った新に、千花は首を横に振って「行き違いになるかもしれないから」と言った。その言葉の通り、そう経たないうちに沼田が戻り、筒井、そして佐山と羽田が続いた。都会のデパートのほんの一部だが、買い物に満足したらしい佐山は、再び新と千花を睨むことに精を出し始めていた。

 

 無事時間内にホテルに到着した春達は、先に待っていた教員たちのチェックを受けてから、部屋の鍵を受け取った。最後の宿は二人部屋で、春と詩絵は同じ部屋だ。荷物を受け取って運び込み、ようやく一息吐いた。

「あー……なんか一気に疲れた。春、先にお風呂使っていいよ」

 ベッドに倒れこみながら詩絵が言うと、春は困ったように笑いながら返した。

「疲れたのなら、詩絵ちゃんがお先にどうぞ。このまま寝ちゃいそうだよ」

「うん、そうかも……わかった、先に使うわ」

 よっ、と声を出しながら起きあがり、支度を済ませると、詩絵は風呂場に引っ込んでいった。ユニットバスなので、詩絵が出てくるまではトイレも使えない。暇になった春は、何気なく修学旅行のしおりを取り出してめくってみた。

 この三日間で、メモ欄にはたくさんのことを書きこんだ。これをもとに、あとで作文や研修のまとめを書かなくてはならない。修学旅行が終わってからも忙しい。そしてあっというまに夏休みに突入するのだ。

 今日の部屋割りにも目を通す。A組のページを見ると、新は沼田と、千花は小日向という子と同じ部屋らしい。小日向なら、春も同じクラスになったことがある。すらりと背の高い、吹奏楽部の子だったはずだ。同じ部の千花と相性は悪くないと思う。今夜は千花もゆっくり眠れるだろう。

 それから、明日の研修予定表。全ての班のものが掲載されていて、どの班がいつどこに行くのかすぐにわかるようになっている。ミヤコタワーに行く時間が新と千花のいる班とかぶっていることは知っていたが、なにしろこれは仮の予定表なので、現地で会えるかどうかはわからない。

 明日が修学旅行最後の日。できることならみんなで一緒に、写真でも撮れればいい。最後に最高の思い出を作れたらいいのに、と春は思う。

 理想は、千花も含めたみんなが何のしがらみもなく、修学旅行の日程を楽しく過ごせることだった。けれどもそううまくはいかず、きっと千花は、他の人も、何かしらのことで傷ついた。それでもそんなことは忘れてしまえるくらいに、あとで向かうであろう作文用紙を明るく素敵な思い出で埋められるような、そんな修学旅行にしたい。最後くらいは、そうしたい。

「春、お風呂空いたよ。……何、明日の予定?」

 髪を拭きながら、詩絵が春の手元を覗き込む。春は頷いてから、今度は自分が風呂に入るための支度を始めた。

「ミヤコタワーあたりで、千花ちゃんや新と合流できないかなと思って。やっぱり、難しいかな」

「結構広いらしいからね、ミヤコタワーって。会えたらラッキーだと思うけど。こういうとき、ケータイがあったら連絡とって待ち合わせられるのにね」

 修学旅行には、携帯電話は持ち込み禁止だ。そもそも、春も詩絵も、携帯電話なんて持っていない。高校生になったら持つことも考えてみようか、とたまに話している。いつでも連絡がとりあえる手段があったら、きっと便利になるだろう。いつでも離れている相手の言葉を聞くことができるのだろう。

「でも、何もないまま偶然会うっていうのも素敵じゃない? 運命、とかみたいで」

「春はロマンチストだね。でも、運命か。それもいいね」

 明日の運命にかけて、今日は早めに休むことにしよう。夜更かしが続いて疲れている。春は着替えとバスタオルを持って、風呂場に入った。

 

 千花がホテルに到着して、買ってきた弁当を広げていたところに、同じ部屋の小日向がやってきた。同じ吹奏楽部員で、部活中は話をするけれど、クラスではほとんど目も合わせない。だからなのか、小日向は気まずそうに笑顔を作って、「今夜はよろしく」と言った。

 外で夕食をとってきたらしい彼女は、千花に断りを入れて先に風呂を使った。そのあいだに食事を済ませた千花は、明日の予定を確認するために修学旅行のしおりを開く。けれども班員はばらばらに動くことになっているのだということを思い出して、あまり意味がないかとすぐに閉じてしまった。新達男子三人は、ミヤコタワーでお土産を買うという。佐山と羽田は周辺の店で、服やアクセサリーを見たいらしい。じゃあ、自分はどうしようか。ミヤコタワーの中を、集合時間までひたすらうろついていようか。もしかしたら面白いものが見つかるかもしれない。

 そんなことを考えているあいだに、小日向が風呂から出てきた。そしてベッドに腰掛けながら、「園邑さん」と話しかけてくる。

「あの……修学旅行も明日で終わりだけど、楽しかった?」

 俯いて、目を逸らしながら、彼女はそう尋ねる。千花は笑顔で返した。

「楽しかったよ」

「……本当に? だって、佐山さん達、園邑さんのことすごく悪く言ってたじゃない。わたし達だって、それを止めようとしなかった。ずっと見ないふりしてた。それで本当に楽しかったの?」

 突然の吐露に、千花は目を丸くした。小日向達が佐山達に目をつけられないようにしていたのは知っていたし、それは間違っていないと千花は思っている。部活では普通に接しているのだし、それで何の問題もないと思っていた。

 でも、小日向の心の中には、ずっとわだかまりがあったらしい。本当は千花のことを、気にかけていてくれたのだ。

「わたし達が真っ先に、園邑さんを同じ班にしてあげれば良かったんだよね。……本当に、ごめんなさい」

「謝ることなんてないよ、小日向さん。私が楽しかったのは本当だよ。……正直にいうと、たしかにちょっとだけつらいこともあったけど、それを忘れさせてくれる思い出がたくさんできたもの。明日もそうやって過ごすつもり」

 それに、と千花が言ったとき、小日向が顔をあげた。やっと目が合う。潤んだ小日向の瞳と、笑っている千花の目が、しっかりと向き合った。

「小日向さんがこうやって言ってくれたことだって、すごく嬉しい。ありがとう」

「なんでわたしにお礼なんか言うの? わたし達、ずるかったんだよ。こうやって、佐山さん達の目の届かないところじゃないと、園邑さんに話しかけられない。そうやって、ずっと助けてあげられなかった。……なんで園邑さんは、そんなに優しいの?」

 背が高くて、目線も上なのに、小日向はまるで小さな子供のように言う。千花は首をちょっと傾げて、「私は優しいわけじゃないよ」と呟いた。

「私はね、できるだけ良いことに目を向けようって思ってるの。そうやって思わせてくれたのは、詩絵ちゃんや春ちゃん、それから小日向さん達吹奏楽部のみんな。みんなが私に優しくしてくれるから、私はそれに感謝しようって思ったんだ」

 この考え方を教えてくれたのは、千花の周りの大人達や友達だ。人から悪意の目を向けられることも多かった千花だから、好意を向けてくれる人達は大切にしたい。しなければならない。そう思ってやってきたのだ。

「園邑さんは、すごいね。強い。わたし達は佐山さんに目をつけられないように逃げてたのに」

「逃げていいんだよって、詩絵ちゃんが言ってた。だからそれで良いんだよ」

 クラスにも味方はちゃんといた。千花を想ってくれている。それだけで十分だ。千花は明日も、過ごすことができる。

 その夜、千花は風呂に入ったあとで、小日向といろいろな話をした。あまり遅くまでは起きていなかったけれど、今まで話したことのなかったことをたくさん語りあった。それはとても楽しい時間で、大切に憶えておきたい思い出になった。

 

 新は沼田と一緒に弁当を食べた後、順番に風呂に入り、明日の予定を念のため確認しようとしていた。どうせ分かれて行動するので予定表にあまり意味はないのだが、あとで口裏を合わせられるようにはしておいたほうがいいだろう。

 修学旅行のしおりを眺めているところへ、沼田がぽつりと言った。

「さっき、デパートでB組の友達に会って聞いたんだけど。ミヤコタワー展望台で告白して結ばれたカップルは、ずっと幸せでいられるんだそうだ」

 なんだって、そんな女子が好きそうな話題を拾ってくるのか。いや、この手の話題を気にするのはなにも女子だけではないということだ。

「といっても、夜景を見ながらっていうのが一般的らしいけど。でも昼間にやって効果がないってこともないだろうし。入江、須藤さんに告白しちゃえば?」

「しちゃえば、って……会えるかどうかもわからないのに」

「ミヤコタワーにいる時間帯は同じくらいだから、探せば会える」

 それは新にもわかっている。もしかしたら春に会えないかな、くらいのことは考えていた。けれども、告白までしようとは思っていなかった。だって、自分は一度、振られているのだから。

 それでも最近は、春のことも以前よりたくさん知って、ときどき良い雰囲気にもなっている気がする。もしかすると、これが二度目のチャンスなのかもしれない。今度こそ春は、オーケーをくれるだろうか。

「入江の自由だし、無理にとは言わないけど。でも急がないと、陸上部の牧野にとられるかもよ。あいつも須藤さんのこと好きみたいだし」

「ああ、牧野ね……」

 どうやら牧野が春を好きなことも、それなりに知れ渡っているらしい。そして今日一日、彼は春の傍にいた。明日もそうなる。それになにより、牧野は春と過ごした時間が新よりも長いのだ。数か月と数年じゃ大きな差がある。春が牧野を好きにならないとは限らない。現に、海水浴のときも仲が良さそうにしていた。

「沼田。もし春が牧野と付き合ったら……」

「そのときは残念会でも開いてやるよ」

 そんなことにはならないだろうけど、という沼田の呟きは小さすぎて、思い悩む新には聞こえなかった。

 なにはともあれ、明日が修学旅行最後の日。締めくくりは良い思い出にしたい。

 

 

 修学旅行最終日は、ホテルのバイキング形式の朝食と、長い注意と説教から始まった。教頭よりも舟見のほうが説教が長く厳しく、これから自由研修に向かおうとする生徒達に大いにプレッシャーを与えることとなった。

 時間を見ながら「まあ、この辺で」と幕内が止めてくれなければ、延々と苦行が続くことになったかもしれない。そう考えると、この説教の原因を作ってしまった一人である詩絵は、みんなに申し訳が立たなかった。

 やっとのことでホテルを出てから、まずは大きな荷物をバスに預けてしまう。軽装になった生徒たちは班にまとまり、担任による身だしなみチェックを受けてから動き出す。いよいよ最後の研修、生徒が各自で行動する都会の自由研修が始まった。

 礼陣の商店街とは比べ物にならないような、大きなデパートやブランドショップの並ぶ通り。それらに囲まれるようにしてそびえたつ電波塔兼展望台の「ミヤコタワー」。説教により時間がおして、午前十時に出発し、午後二時には最終集合場所のバスターミナルにいなければならないというスケジュールの中、買い物をし、観光名所をまわり、お土産を用意し、昼食もとってこなければならない。貴重な四時間をいかにして使うか、生徒達は工夫を凝らす。

「とりあえず、まずみんなミヤコタワーに向かうんだね」

 大抵の生徒はミヤコタワー周辺の店や、タワーそのものが目的だ。お土産もそこで手に入る。なので必然的に、同じ制服を着た集団がぞろぞろとミヤコタワー方面へ連れ立っていくことになる。けれども行き方は様々で、地上の店をまわりながら歩く班があれば、地下鉄を使って一気にタワーへ行く班もある。

 春達の班は地下鉄に乗るが、タワーより手前で降りて、店を見ていく。田舎の街では見られないようなおしゃれな服や靴、アクセサリーに、ここでしか手に入らないアイドルのグッズ。詩絵とひかりはさっそく好きなアイドルのグッズにとびつき、浅井と塚田の男子二人は今日発売だというCDを見に行った。今日発売ということは、礼陣に届くのは明日か明後日になる。いち早く手に入れることができてラッキーだと喜んでいた。

 春はというと、詩絵とひかりから極力目を離さないようにしながら、小さくて可愛い屋台で売っていたワッフルを頬張っていた。朝ごはんは説教中にとっくに消化されてしまっていて、小腹がすいていたのだ。正面の店で靴を見ていた牧野が、戻ってくるなり「また食ってんのか」と呆れていたが気にしない。ワッフルはメープルシロップがたっぷりかかっていて美味しかった。

 ちょうどワッフルを食べ終わった頃、詩絵とひかりがアイドルグッズを抱えてほくほく顔で戻ってきた。浅井と塚田も「CD限定版で買った!」と興奮している。

「詩絵ちゃんとひかりちゃん、誰が好きなんだっけ」

「えっと、あたしはこの人。ワイルドでかっこいいんだよね」

「アタシはこの人。爽やかな美形って評判」

 同じグループのアイドルらしいのだが、春にはよくわからない。ただ、しいていうなら、二人の好きなアイドルは顔見知りに少し似ていた。ひかりが好きだと言った彼は知り合いのお兄さんに、詩絵がハマっているという彼は礼陣の商店街にある店の息子にどことなく雰囲気が似ている。

「詩絵ちゃん、水無月呉服店の和人さんのこと好きでしょ」

「やっぱわかる? いいよねえ、和人さんもタクトも!」

「ひかりちゃんの好きそうな人は、遠川に住んでるよ。ワイルドっていうか喧嘩っ早いけど」

「あ、なんか聞いたことある。遠川で喧嘩といえば狂犬ブラザーズだ。兄? 弟?」

「似てるのは兄のほうかな」

 きゃっきゃとはしゃぎながら、次の店へ。礼陣ではなかなか見ないような服を物色し、詩絵とひかりは春に猫耳のついたフードのパーカーをかぶせて写真を撮った。照れている春に「ガキみてえ」と言った牧野は、春の重いパンチを受けてうずくまるはめになった。

「牧野、バカだなー……。あ、この写真はあとで千花と新に見せるから」

「千花ちゃんはともかく、新は恥ずかしいからやめて」

「えー? 可愛いのに」

 牧野をなんとか回復させてから、塚田が「加藤と笹木も着てみれば?」と促す。春とは色違いの猫耳パーカーを着た二人を、今度は春がカメラに収めた。これであいこだ。男子はなにやらチェーンがジャラジャラとついたジャケットを羽織り、ラッパーのようなポーズを決めたので、それも撮った。あとで井藤に見せたら、きっと「バカだなー」と笑ってくれるだろう。

 都会の街はまるでテーマパークだ。時折通行人が振り返って「あれどこの制服だろ」「修学旅行?」などと言っているのが聞こえる。遊びに来ているのはこっちなのに、どちらがキャラクターなのかわからない。

 そうして遊びながら、一行はメインのミヤコタワーへ向かった。目指すは展望台だ。

 

 新達の班は地下鉄でミヤコタワー付近まで行き、店に目移りしている佐山と羽田を引っ張るようにして、まずタワーに入場した。

 予定では、ミヤコタワー内と付近の店で時間を潰すことになっている。展望台の一日パスを買って上へ昇ったあと、班員が全員そろっている証拠品のように、一枚だけ写真を撮った。それから佐山と羽田の二人はすぐに下へ降りてしまう。タワー下の店で買い物をするためだ。完全に自由行動を取り始めてしまった二人を見送ったあと、筒井が呆れた顔を隠すように、笑顔を作った。

「それじゃ、俺達はタワー内の店をまわるか! 園邑さん、なんか見たいとこある?」

 同じ空間に佐山達がいなくなったのをいいことに、積極的に千花に話しかける筒井を、新は現金な奴と思いながらも憎めない。たぶん、ずっとこうして千花と話をしてみたかったのだろうから。

「わ、私は……ミヤコちゃんと写真撮りたい!」

 ミヤコタワーのキャラクターであるミヤコちゃんの着ぐるみは、展望台スペースの端でたくさんの客に囲まれながら手を振っていた。写真を撮れるようになるまでは、しばらく待ちそうだ。

「混んでるから、先に土産とか買ってくる?」

「その方が良さそうだな。千花、それでいいか?」

「あ、私のことは気にしないで。ミヤコちゃんグッズとか買うだけでもいいから」

「園邑さん、ミヤコちゃん好きだね……あ、俺買ってあげようか?」

 マスコットキャラクターにご執心の千花だが、そんな彼女に筒井はデレデレだ。その様子を見て、沼田がとうとう「現金だな」と口にした。

「ついでに園邑さんが佐山に嫌がられてる理由もわかった。可愛いのが普通だからだ。入江はなんで園邑さんに惚れなかったの?」

「なんでって……」

 千花より春に惚れてしまったのだから、それは仕方がない。新は先に行ってしまう筒井と、その後についていく千花を、沼田と一緒に追う。エレベーターでお土産コーナーのある階につくと、そこここで立ち止まって、「これはどう?」「こっちのぬいぐるみとかは?」と尋ねる筒井に、千花はにこにこと「もうちょっとゆっくり選びたいかなー」と返す。そして「ミヤコちゃん親子ストラップ」という二つで一組の商品を見つけると、すぐに手に取ってレジに持って行った。

「あれ、そんなちっちゃいのでいいの? 園邑さん、これは? このぬいぐるみ!」

「筒井、うるさい。園邑さんには園邑さんのペースがあるんだろ。……そっか、可愛い上にマイペースすぎるから、余計に佐山達の気に障るんだな」

「沼田……もうそういう分析はいいから……。あと筒井は本当にうるさい」

 何はともあれ、千花が楽しそうならそれでいい。新は安心しながら、「オレ達も土産買わないと」と男子二人を促した。昼食のために佐山達と合流するまでに、用事を済ませなければならない。

 結局男子三人は、家へのお土産に「ミヤコちゃんクッキー」を買い、沼田は旅行のためにお小遣いをくれた祖父母のために「ミヤコ印のぬれせんべい」を追加した。筒井は相変わらず千花に絡みまくっているが、あまり相手にされていない。もうお土産はいいのだろうか。

 千花は店をゆっくり歩いて見てまわり、少し大きめの「ミヤコタワーバウムクーヘン」を購入した。これはいつも世話になっているという、隣の一家へのお土産らしい。これで千花の用事は済んだようで、満足気に荷物を抱えていた。

「新君達は、お土産ちゃんと買えた?」

「オレと沼田は買った。筒井は?」

「あ、俺、じーちゃん達の買ってない。ちょっと行ってくるから、先に展望台に戻ってていいぞ。そろそろミヤコちゃんと写真撮れるかもしれないし」

 そう言って、筒井は走っていってしまう。迷いそうで心配だからと、沼田もそれについていった。新と千花は顔を見合わせ、目線だけで「どうしようか」と相談する。みんなばらばらになってしまうのはやはりまずいので、このあたりで待っていたほうがいいだろうということになった。二人とも黙ってそこに留まったということは、そういう結論でいいのだろう。

 筒井達はすぐには戻ってこない。壁に寄り掛かって人の流れを見ながら、千花が口を開いた。

「新君、春ちゃんにはお土産とか買わなくていいの?」

「春に? だって、同じところ来てるのに……」

「ご当地のものじゃなくてもいいんだよ。さっき可愛い髪ゴム見つけたから、プレゼントしたらどうかな。五月に、春ちゃんの誕生日祝い損ねてるでしょ」

「う……」

 そうなのだ。春の誕生日は二か月以上前の五月一日だったのだが、ちょうどその頃は三者面談のことで悩んでいて、祝うのをすっかり忘れていたのだった。あとになって詩絵と千花がそれぞれでちゃんとプレゼントを渡していたのを聞いてショックを受けたのを、新は今になって思い出した。

「オレ、行ってくる。筒井達が戻ってきたら、すぐ戻るって伝えてくれ」

 あわてて走っていく新を、千花は笑顔で見送る。――みんなで賑やかに買い物をするのは、楽しかった。筒井はちょっとうるさかったし、沼田は的確だけれど少し失礼なことを言っていたようだったが、それでも楽しかった。独りも嫌いではないけれど、千花はやはり、賑やかなのが好きだ。本当は佐山達ともそうしたいのだけれど、合わないのだから仕方がない。きっと一緒にいたら、お互いに疲れてしまうのだろう。

 ふと時計を見ると、昼の集合時間が迫っていた。そんなに時間は経っていないと思っていたが、思った以上にゆっくり見てまわっていたらしい。タワー前に集合する約束なので、そろそろ動かなければ、佐山と羽田を待たせてしまう。もっとも、二人が時間通りにタワー前に来ればの話だが。

「間に合うかな、みんな……」

 筒井と沼田がいるはずの方向と、新が向かった店、それから展望台へ行くエレベーターのあるほうへと視線を移していく。千花と同じ制服を着た女子生徒達の姿が見えて、みんなここに来ているんだな、と改めて思った。

 

 春達もミヤコタワーに入り、展望台へ向かう前にお土産コーナーのある階に立ち寄った。ただしそれは千花達のいるところとはまた別で、見回しても姿を見つけることはできない。同じ建物内にいるのに、タワー内の造りと混雑のおかげで、すぐに出会うことは不可能だった。

「お土産屋さん、たくさんあるね。おじいちゃんには何買っていこうかな。あと、海にいのところにも何か用意しないと……」

 きょろきょろする春が迷子にならないように、詩絵とひかりがその両脇をかためる。浅井、塚田、牧野の男子三人組は、同じ階にあるアトラクションコーナーに気をとられて、あやうく女子に置いていかれそうになった。

「おい、須藤! 勝手に先に行くなっての!」

「え、ごめん。牧野君達、何か見たかった?」

「いや、男子はゲームコーナー見てただけ。春は悪くないよ」

 コントのようなやりとりをしながら、お土産を選びにいく。春が祖父と、いつも世話になっている幼なじみの家に贈るものを吟味しているあいだに、詩絵とひかりも自宅用と親戚用に定番のクッキーなどを見ていた。ミヤコタワーのマスコットキャラクターであるミヤコちゃんが菓子箱やTシャツでにっこり笑っている。ここにあるお土産のほとんどはそんな調子だった。

 春はミヤコちゃんを模った人形焼を二箱重ね、さらに缶入りミヤコちゃんクッキーを二缶上に載せた状態でレジへと運ぶ。人形焼とクッキーで一セットにし、片方は幼なじみに渡すつもりだ。そうすれば向こうで、お茶うけにするなり、人に配るなりしてくれるだろう。もう片方は自宅で留守番をしている祖父のためのものだ。四日も独りにさせてしまっているので、大好きな甘いものをたくさん買っていこうと決めていた。だからこれだけではまだまだ足りない。せっかくもらったお小遣いなのだから、思いきり恩返しに使わせてもらう。

 結局、お土産コーナーを出る頃には、春はたくさんの箱や缶が入った大きな袋を提げる羽目になっていた。祖父や幼なじみ一家は喜んでくれるだろうか。春と同じで食べることは好きなはずだから、迷惑にはならないと思うが。自宅の分は最終的に春が食べてしまうかもしれない。どれも美味しそうだ。

「春、いっぱい買ったねえ……。さっきお小遣い使わなかった分、一気に出したって感じ」

 詩絵が、こちらもお土産の袋を抱えてしみじみと言う。家で待っている両親と弟の分だろうか、「ミヤコちゃん煎餅」のパッケージが見えた。パン屋をやっている詩絵の家族は、実は小麦よりも米が好きなのだといつか聞いた。

 ひかりや、男子達の持っているお土産も似たようなもので、「これは家に、これはおじーちゃんとおばーちゃんに」「ミヤコちゃんメモとか使えそうじゃね?」などと賑やかに品物を見せあっている。誰かのための買い物というのも楽しいものだ。荷物を持ちなおすたびに、鞄につけたチャームが揺れる。

 ふと、千花のことを思う。今頃は同じ建物の中で行動しているはずだが、姿を見ていない。別の階にいるのか、それとも展望台にでも行っているのか。佐山や羽田と険悪な空気になっていなければいいのだが。

 同じ班で行動しているはずの新はどうしているだろう。以前にもこの町には来たことがあって、ミヤコタワーも訪れたことがあるらしいのだが、楽しめているだろうか。告白してきた羽田とは、気まずくなったりしていないだろうか。……気まずくても、仲良くなりすぎていても、なんだか嫌だなと春は思った。そのことを考えると、胸のあたりがもやもやするのだ。

「どうしたの、春? ちょっと疲れた?」

「旅行中、あんまり休めてないもんね」

「ううん、そういうわけじゃないの。……なんか、お腹すいたなあって思って」

「さっき食べてたじゃん……」

 詩絵とひかりに呆れられながらも、春は曖昧な笑顔でごまかした。千花のことはともかく、新のことを考えていたなんて知れたら、またひかりにからかわれてしまう。浮かない表情をしているのを見つかってしまったら、それは空腹だからということにしよう。そして何か食べれば、気はまぎれるはずだ。ちょうどすぐ傍の店に「ミヤコタワーソフトクリーム」という幟が立っているのを見つけて、それを指さす。

「ね、詩絵ちゃん、ひかりちゃん。お腹に余裕あったら、ソフトクリーム食べない?」

「アタシはさすがにパス。この後、お昼ごはんもあるでしょ」

「春は余裕そうだね。食べちゃっていいよ、あたし達は待ってるから」

 おやつに誘ったが、断られてしまった。当然だろう、詩絵の言うとおり、この後には昼食が控えているのだ。それにお小遣いにもそろそろ余裕がなくなってきた。ソフトクリームは諦めるか、お昼ごはんの後にしよう。春がそう思ったとき、後ろから「須藤」と声がかかった。

「俺、ソフトクリーム食う。一緒に買って来ようぜ」

「牧野君も食べたかったの?」

「まあな。そんで、展望台行って食おう。景色見ながら食ったら最高に美味いぞ」

 にかっと牧野が笑う。陸上部で、思い切り走っていいタイムが出たときも、彼はこんな表情をする。春に向かって、「今の見てたか?」と得意気に言うのだ。小学生の頃からそうだった。春をよくからかいもするが、同じくらい良いところを見せたがりもしていた。思えば、ことあるごとに春にかまおうとしていたような気がする。

「それじゃ、春と牧野はソフトクリーム買っておいでよ。それから展望台に行こう。同じフロアに、お昼食べに行く予定だった店もあるから」

 詩絵達に待っていてもらって、春は牧野とソフトクリームを買いに行った。注文をして、手渡されたソフトクリームは思っていたよりも大きなものだった。ミヤコタワーのごとく、縦に長い。自分で食べるといったくせに、牧野などは頬が引き攣っている。

「これ、早く食べないととけちゃうね。食べながら展望台行こうっと」

「人にぶつからないようにね」

 春はソフトクリームの高さに驚きながらも、平気で上から食んでいく。一口が大きいので、展望台に到着するまでもつかどうかわからない。不安定だからと、荷物は詩絵が持ってくれた。

 無事に展望台に到着した時には、春はソフトクリームを半分以上食べ終えていた。牧野はまだ三分の一ほどしか食べておらず、もうとけかかっている。急いで下のほうから攻略しようとしていたが、そうすると危うく落としそうになる。浅井と塚田がそれを笑いながらカメラに収めた。これもあとで井藤に見せるつもりだ。

「牧野君、食べるの下手だね」

「大食いの須藤と一緒にするなよ。くそっ、ただのソフトクリームだと思って油断した……」

 苦戦する牧野を尻目に、春は展望台の、ガラス張りの壁面に近づいていく。詩絵とひかりもそれに続いた。望遠鏡など使わなくても、ここからは都会の街がよく見える。まるで宙に浮いているような眺めに、足の先から頭のてっぺんまでぞわりと撫でられたような感覚があった。

「すぐ足元に建物がいっぱいある。タワーが崩れたらひとたまりもないね」

「ちょっと笹、縁起でもないこと言わないでよ。うわー、怖くなってきた」

 眼下に広がるのは、知らない景色。けれども誰かが暮らしている街。ソフトクリームの残りを順調に食べ進めながら、春は街並みを眺めた。コーンの先までしっかり味わった頃には、もう景色には満足していた。都会の街もいいけれど、やっぱり礼陣に帰りたい。同じくらい高いところから、自分の住む街を見てみたくなった。

「帰ったら、山に遊びに行く計画立てよう。礼陣を上から見てみたい」

「もう次の遊びの話? 気が早いね、春は」

「山に行こうって話は旅行の一日目から出てるんだよね。新がお山に湧き水あるの知らなくてさ。夏休みにでも春と二人で登山デートしたら良いんじゃないかって言ってたんだよ」

「デートじゃないって! 詩絵ちゃんと千花ちゃんも一緒に行こうって話したじゃない」

 女子がやいのやいのと姦しくしているうちに、牧野もやっとコーンをかじる。そのタイミングで浅井と塚田が頷きあい、牧野に目配せした。それから浅井が、ひかりに近付き、話しかける。

「笹木、土産の買い忘れとかない? この階にも土産屋あるけど」

 先ほど大量にお土産を買ったばかりだ。買い忘れなどあるはずもない。けれどもひかりは少し考えてから、頷いた。

「そうだね、もうちょっと見てこようかな。詩絵、ちょっと付き合ってくんない? 選ぶの手伝ってほしくて」

「え? いいけど……」

 首を傾げつつも、詩絵は了解する。すると塚田がすかさず持っていた荷物を牧野の傍に置き、言った。

「牧野、悪いけど須藤さんと一緒に荷物預かってて。俺トイレ行ってくる。浅井たちも牧野と須藤さんに荷物見ててもらおうぜ」

 ここでようやく、詩絵は男子達の行動の意図に気がついた。彼らは牧野と春を二人きりにしたかったのだ。なにしろ班を決めたときから、男子三人は協定を結んでいたのだ。きっと塚田は、牧野のことだけでなく、浅井とひかりのことも考えているだろう。詩絵はひかりの買い物に付き合うふりをして、そっとその場を離れればいい。

 ここで牧野にチャンスを与えたことがあとで新に知れたら、「なんでそんなことしたんだよ」と文句を言われるかもしれない。けれども、きっとそれだけだ。詩絵には、たとえ牧野が春に告白しようとも、その結果がどんなものであるか予想がついていた。

「ごめん、春。アタシたちの荷物も見てて。ちょっと行ってくる」

「うん。さっきソフトクリーム買うのに待っててもらったし、それくらいなんてことないよ」

 春も快く了承し、離れていく四人を見送った。荷物は牧野の足元にまとめられていたので、必然的に春もそこに来る。二人で荷物に囲まれて立っているのはなんだかおかしかったが、詩絵達が戻るまでのほんのちょっとのあいだだけなので気にしないようにした。

 時計を見ると、そろそろ昼食の予定時間だった。道理で食べても食べてもお腹がすくわけだ。小腹がすいたところで何か摘むと、空腹に拍車がかかるのはなぜだろう。そんなことをぼんやり考えていると、上から声が降ってきた。

「あのさ、須藤」

 春よりも背の高い、牧野の声だ。見上げると、こちらを見ては目を逸らす、おかしな調子の彼がいる。「ん?」と首を傾げる春に、牧野はぼそぼそと続けた。

「……須藤はさ、やっぱ、……入江のこと好きなのか?」

「え?!」

 思ってもみない問いに、春は思わず声をあげる。あわてて口を押さえても、顔はだんだん熱くなる。どうして牧野が、そんなことを訊くのだろう。

「そ、そんなの、牧野君に関係ないでしょ……」

 そっと口から手を離して、こちらもぼそぼそと、呟くように返す。だが、それにははっきりとした言葉がさらに返ってきた。

「関係なくない」

 きっぱりと言った牧野の目は、もう泳いでいなかった。目をぱちくりさせる春に、牧野は「だって」と継ぐ。

「俺が須藤のこと、好きだから。須藤が入江を好きだと、俺が困る」

 ミヤコタワー展望台にはたくさんの人がいて、同じ制服を着た修学旅行生の姿もある。みんなはしゃいだり、ガラスの壁から見える景色に感嘆の声をあげたりしているはずなのに、その全てが一瞬、なくなったように思えた。ただ、牧野の声だけが春の頭の中に残る。

 須藤――春のことが、好き? あの、ことあるごとに「チビ」「怪力」とからかってくる牧野が。小学生の頃から春につっかかってきては、一つ上の幼なじみに見つかって怒られていた牧野が。そんなこと、とても信じられなかった。

「……だって、あんなに私に意地悪なこと言ってたのに」

「それは、そうでもしないと話しかけるネタがなかったから……あと、あからさまに好きだってわかったら恥ずかしいだろ」

 新があからさまだったので、牧野の照れ隠しには考えが及ばなかった。でも、そう言われれば、牧野はことあるごとに春に絡んできていた。部活のときも、須藤、須藤と声をかけ、マネージャーの子よりも用事を言いつけられていた気がする。それも全部、春のことが好きだったからなのだろうか。

「いつから?」

「小学生のときから。入江なんかよりずっと前から、俺は須藤が好きだった。それなのにあいつは突然割り込んできて、須藤に告白して、振られてもまだ付きまとってる」

「告白のこと、知ってたの?」

「お前が思ってるより、俺、お前のこと見てるんだからな。……全然気づいてないみたいだったけど」

 随分長く、牧野は春のことを想ってくれていたのだ。彼の言うとおり気づいてはいなかったし、むしろ意地悪ばかりするから嫌われてるのかと思ったこともあった。彼の絡み方を友達に対するそれだと認識するようになったのも、中学生になってからだ。でも、それ以前から、牧野は春のことを好きだったのだ。好きだから振り向いてほしくて、わざといじめて意識させようとした。

「どうなんだよ。ずっと好きだった俺と、ぽっと出でお前に付きまとってる入江と。須藤はどっちがいいんだ?」

「どっちが、って……」

 そんなことを言われても困る。牧野の気持ちが嬉しくないわけではない。新は最初こそ失礼な出会いだったが、今では優しくて頼もしい、友人の一人だ。――しかし、友人が他の女の子から告白されたことに、あんなに胸が苦しくなるものなのだろうか。

 多分、新はもう、春の中で「友人」の域を越えている。傍にいなければ気になるし、一緒にいると楽しくて、安心する。新は春のことを好きでいてくれて当然だと、心のどこかで思っていた。今でもそうなのかどうかはわからないけれど、慢心していた。羽田が新を好きだと知ったときは、新の気持ちがそちらに傾いてしまわないかどうか不安だった。新がどう応えるのか気になっていた。

 ぽっと出で付きまとっていると牧野は言うが、春にとってはそうではない。新は、傍にいてほしい人なのだ。あの優しくて嬉しそうな声で、「春」と名前を呼んでほしい。笑顔を向けてほしい。そう思うようになったのは、いつからだっただろうか。牧野のように、はっきりとはいえない。いつのまにかそうなっていた。

 それはつまり、春が新のことを。……そういうことなのではないのだろうか。

「牧野君の気持ちは、嬉しいよ。私を好きになってくれて、いつも気にかけてくれて、本当に嬉しい」

 でも、牧野の気持ちには応えられない。その結論はすぐに出た。春は、牧野をクラスメイトで部活仲間である以上には見られない。見たこともなかったし、これからもそのままだろう。そう思ってしまった。

「ごめん。牧野君のことは、友達として好きだよ。……それで、新は、多分そうじゃないんだと思う」

 新が羽田に告白されて、自分が牧野に想いを打ち明けられて、やっと気づいた。それを初めて、言葉にしてみる。

「私、新が好き。誰よりも応援したくなるくらい、これからも一緒に過ごしていきたいと思うくらい、新のことが好きになってる」

 真っ直ぐに、濁りのない気持ちを伝えてくれる新のことが、春は好きだ。

 春の言葉を、牧野は黙って聞いていた。そして、口元だけで笑った。

「……ばーか、それ俺に言うことじゃねえだろ。失恋に追い討ちかけんな」

「あ、ごめん。でも、牧野君の気持ちは本当に嬉しいから」

「もういいよ。それ以上言うな。……あーあ、俺、かっこわる。なんかさ、ミヤコタワーで夜景を見ながら告白して、うまくいったらずっと幸せになれるとか、そういうのを塚田が聞いてきて。それを真に受けた上に妥協して昼間に告って、振られるとか超かっこ悪い」

 早口でまくしたてる牧野を、しかし、春は格好悪いとは思わなかった。こうして気持ちを告げることは、きっととても勇気がいることだろうから。そういう点では、春は羽田のことも尊敬しているのだ。そのことを言おうとしたら、先に牧野が春から離れた。

「トイレ行ってくる。荷物見ててくれ」

「え、うん、いってらっしゃい……」

 春は一人、ぽつんと残されてしまう。お土産の袋に囲まれて立ち尽くしていると、やっと周囲のざわめきが耳に戻ってきた。こちらのことは気にされていないらしい。みんなが注目しているのは、ミヤコタワーの内装やガラスの壁の向こうの景色、お土産に、ミヤコちゃんの着ぐるみなどだ。ここで一つの恋が終わり、一つの気持ちに整理がついたことなど、誰も知らない。

 そう思っていたのだが、彼女たちにとっては違ったらしい。ずんずんと近づいてきて、春がその存在に気がついたときにはもう目の前にいた。

「須藤さん、今の何?」

 班で行動しているのではなかったのだろうか、千花達の姿はどこにも見当たらない。しかし、佐山と羽田は、春を睨み付けながらそこに立っていた。

 

 詩絵はお土産店で時間を潰そうとしていた浅井とひかりを残して、トイレに行っていた。そのあいだに浅井がひかりに自分の想いを告げてくれればいいと思いながら、混んでいるトイレに並ぶ。こうしているうちに、浅井はともかく、牧野は玉砕していることだろう。いつものように茶化して、チャンスを逃していなければいいが。いや、牧野はやるときはやる男だから、ちゃんと春に気持ちを伝えているに違いない。その点では、詩絵も彼を高く評価しているのだ。

 時計をちらりと見て、昼食をとる予定の時間はずらさなけらばならないだろうなと思う。軽食をテイクアウトしたほうが、まだ時間に余裕ができていいかもしれない。ミヤコタワー内にはここ限定のサンドイッチやハンバーガーなどもあるらしく、記念には十分なり得る。

 そんなことを考えていると、男子トイレのほうに並んでいた塚田と目が合った。すると相手は目を丸くして、なぜか戸惑った表情をみせる。きょろきょろと売店方面を見て、最後には深い溜息を吐いた。

「ちょっとなんなの、その反応。アタシがトイレに来ちゃいけないわけ?」

 詩絵が我慢できずに声をかけると、塚田は「そういうわけじゃないけど」と目を逸らした。

「あのさ、加藤。浅井から何か言われてない?」

「何も言われてないけど、気を利かせて笹と二人にしておいた。浅井って、笹のこと好きなんでしょ」

「あー……そう思ったか」

 塚田は額を押さえて、そのまま列に流されていく。結局真意がわからないままで、詩絵は腕組みをして首を傾げた。もしかして、浅井は別にひかりが好きというわけではなかったのだろうか。それでもひかりは明るくて良い子だから、二人でも場は盛り上がるに違いない。心配には及ばないだろう。

 結局、詩絵が真相を知ることはない。浅井にはたしかに好きな女子がいるが、それはひかりではなく詩絵だった。彼は、実は初めからひかりと同じ班になる相談をしていて、修学旅行中に詩絵に告白する気でいた。しかし買い物中の会話で、詩絵は水無月呉服店の息子に恋をしているのだと勘違いし、その気持ちを封印してしまったのだ。相手が町でも有名な美形の先輩だなんて、敵うはずがないと思った。おまけに当の詩絵がどこかに行ってしまったのだから、駄目でもともとと気持ちを伝えようと思ってもできなくなってしまった。

 そうとは知らず、詩絵も進む列に紛れていく。だが、そこへ息せき駆けてやってくる姿があった。

「詩絵!」

 名前を呼ばれて振り返ると、焦った様子のひかりと浅井がいた。人に揉まれてきたのか、髪は乱れている。姿が見えなくなったので捜しに来ただけ、というわけではなさそうだ。もしそうなら、ひかりはその場から動かずに詩絵を待つことを選ぶだろうから。

「どうしたの、笹?」

「どうしたもこうしたもないって! 今、展望台のところで春が佐山と羽田に絡まれてんの! あたし達が近寄ったら関係ないでしょって睨まれて、春も大丈夫だからお土産見ててなんて言うし……」

 ひかりが早口で告げることを、詩絵は完全には聞き取れなかった。けれども、これだけはわかる。

「とにかく、来て! 詩絵じゃないとどうにもできない!」

 どうしてそうなったのかはわからないが、春は今、危機的状況にあるのだ。

 詩絵は列からするりと抜けると、展望台へ向かって走った。だが、ひかり達の邪魔をしないようにと、少し離れた場所のトイレに来たのが仇になった。加えて人混みが行く手を阻む。早くしなければ、春が傷ついてしまうかもしれないのに。

 

 その少し前、千花は展望台へ向かうエレベーターの前に佐山と羽田の姿を見た。

 ミヤコタワーの入場料と展望台へ行く料金は基本的に別になっている。持っているチケットを確認するため、地上から展望台まで行くには一度エレベーターを降りて乗り継がなければいけないようになっているのだ。

 それにしても、ミヤコタワー前に集合と言ったのに、なぜ彼女らは展望台へ向かっているのだろうか。思っていたよりも買い物が早く終わり、暇を持て余したのでこちらへ来たというのが妥当なところだろう。展望台の一日パスをせっかく買ったのだから、使わなければもったいない。

 だが、展望台に行ってこちらと合流できなければ、彼女らはまた機嫌を損ねるだろう。早めに行ったほうがいい。そう思ったところで、ちょうど筒井と沼田が戻ってきた。

「あれ、園邑さん、一人? 入江は?」

「ちょっと用事があって……あ、新君が来たら、私は先に展望台に行ってるからって伝えておいてくれる? 佐山さん達、こっちまで来たみたいなの」

 筒井達の返事を聞く前に、千花は走りだした。エレベーターはもう、佐山達を載せて上がっていってしまっている。次の便まで、少し待ちそうだ。けれども新がいつ戻ってくるかもわからないので、千花はエレベーターを待つ列に並んだ。そして新が筒井達と合流する前に、展望台へ向かった。

 人に押されながらエレベーターを降り、佐山達の姿を捜す。人が多くて、春ほどではないがさほど背の高くない千花は、背伸びをしながら自分と同じ制服の子を探さなければならない。やっと中央の大きな柱があるあたりにそれを見つけて近寄ろうとして、そこの異様な雰囲気を察した。

 佐山と羽田は、柱に向かって何か文句を言っている。いや、柱側にいる誰かに言っているのだ。彼女らより背が低くて、ここからは見えにくいその人に。隙間から見えたのは、自分や彼女らと同じ制服。そして、見慣れたおさげ。困った顔をした親友が、そこにいた。

「春ちゃん?!」

 駆け寄ろうとしてそちらに注意を向けると、彼女らの声が耳に入ってくる。「どういうこと?」「ひどいんじゃない?」という、責めるような言葉が並ぶ。人に阻まれながら、千花はやっと台詞がはっきりと聞き取れるところまで辿り着いた。

「須藤さん、入江君から離れてくれない? あんた図々しいから」

 つい先日まで千花に向けられていたものが、春に向かってぶつけられていた。

――どうして、春ちゃんが。

 新が春を好きだということは、傍目にわかりやすいが、彼女たちは知らなかったはずだ。何かのはずみで知ってしまったのだろうか。それにしても、春に文句を言うのはおかしい。新が羽田を振ったのは新の気持ちであって、春に非はないのだから。

 あんなに自分に対してぶつけられて、それでもいいと思っていた言葉。他に誰も傷つかなくていいのなら、それでいいと、ずっと我慢してきた痛み。それが親友に降りかかったとき、千花は初めて佐山達に対して激しい感情を持った。

 そしてそれをもって、彼女達のあいだに割り込んだ。

 

 初めてまともに見る佐山は、目を吊り上げた怒りの形相で、春を見下ろしていた。背はちょうど詩絵と同じくらいで、平均的な中学生女子よりも高い。平均よりも小さい春に圧力をかけるには、立っているだけでも十分だ。

 佐山の隣には、俯いた羽田がいる。春を恨めしげに見てはいるが、何も言わない。時折、佐山にちらりと視線を移しては戸惑うような表情を浮かべる。

「何って……」

 春が佐山の問いに尋ね返すと、低い声で「とぼけないでよ」と言われた。

「同じクラスのやつに告られてたじゃん。それで『新が好き』とか言って断ってたよね。あんた達、入江君囲んで、超うざいんだけど」

 さっきの牧野との会話を聞かれていたらしい。そして、それだけではなかった。

「なんか昨日、友達から入江君があんたのこと好きだとかって話も聞いたし。園邑と結託して、入江君をたらしこんでたってわけ」

 日常会話ではめったに聞かないような言葉が並ぶ。春は混乱して、返事をすることができなかった。もちろんたらしこむなんてことはしたつもりがないし、千花は応援こそしてくれているが、佐山達の邪魔をしていたわけではない。けれども、そう言い返すことができない。その隙に佐山がさらに言葉の攻撃を重ねてくる。

「ねえ、聞いてんの? 普段から一緒にいるみたいだけど、あれってどういうこと? 入江君の周りかためて、他の子が近づけないようにして、それはひどいんじゃないの? さっきのやつも振られて可哀想だよね、あんたが入江君を好きなせいで、つらい思いしてさ。断らずに付き合ってやればよかったのに。そしたら誰も傷つかないで済んだのに」

 浴びせられる言葉は、春の混乱を深くする。ただ、「断らずに付き合えば誰も傷つかなくて済んだ」という部分には、胸を抉られたような心地がした。牧野は春の言葉に、傷ついたのだろうか。いつかの新も、千花から聞いた話ではかなり沈んでいたという。そうして自分は、人を傷つけてきたのだろうか。

「須藤さん、入江君から離れてくれない? あんた図々しいから」

 佐山の一言が刺さって、春はぎゅっと胸を押さえる。人の好意を押し返し、自分の気持ちばかり優先してきた自分は、やはり図々しかったのだろうか。――新から、離れたほうがいいのだろうか。

 

「図々しくなんかない。離れなくていい。春ちゃんは、全然悪くない!」

 

 そこに飛び込んできたのは、普段は高くて可愛らしい、けれども今はとても凛々しい、はっきりとした声だった。春と佐山達のあいだに割り込んで、春を守るように腕を広げているのは、まぎれもなく千花だ。春から見たその背中には、強さと怒りがある。こんな千花を見るのは初めてだ。

 離れたところからその様子を見ていた詩絵も驚いた。いつも黙って悪意を受け止めているだけだった千花が、佐山達から春を庇い、言い返すなんて。

「詩絵、あれやばいんじゃないの? 春と園邑さん助けたほうが……」

「待って」

 心配そうなひかりを、詩絵はそこに留めた。

「千花に任せる。……あの子が言わなくちゃ、だめなんだよ」

 驚いたが、必要なことだと判断できた。千花と佐山達は、互いの気持ちを正面からぶつけなければいけなかったのだ。佐山のように陰口を言うのでもなく、千花のように気にしないふりをし続けるのでもなく、ああしてきちんと向かい合わなければいけなかった。佐山は自分勝手に突っ走るところはあるが、羽田を友達と思って行動している。千花は友達に迷惑をかけたくなくて、これまで佐山達からのやっかみを我慢し続けてきた。二人とも根本は、友達を大切に思っている。そんな二人が、話し合えないわけはないはずなのだ。

「園邑、なんなの? 今、須藤さんと話してるんだけど」

 佐山は千花を鋭く睨むが、千花は全く怯まない。もう慣れたことだし、ここで退けば春がさらに傷つくことになる。ここを去るつもりなどなかった。

「会話になってなかった。佐山さんは、春ちゃんを一方的に責めてた。どうしてそういうことするの?」

 それどころか、さらに言葉を返す。しっかりと相手を見返して反論するなど、普段の千花からは想像できなくて、佐山のほうがたじろいだ。

「こ、こいつが入江君のこと好きだって言って、男振ってたから! 入江君もこいつのこと好きだとかアキナ達が言うし、おかしいんじゃないの?!」

「何もおかしいことなんかないよ。羽田さんだって、新君のこと好きだったんでしょう。人を好きになることに、おかしいことなんかない。……佐山さんがやってること、本当に羽田さんがそうしてほしいって思ってることなの?」

 千花が問うと、佐山は羽田を見た。羽田は俯いたままで、けれども小さく首を横に振った。「なんで」と佐山が呟くと、羽田は泣きそうな声で言う。

「振られたのはつらいし、悔しいけど、佐山ちゃんがそんなに怒ることないよ。あたしはもう大丈夫だから、新しく誰かを好きになるから、……もう、おかしいとか言って怒らないで。そんなこと言ったら、入江君を好きだったあたしまでおかしいみたい」

 佐山が、新が羽田を振ったと騒ぎ立てていたときから、そう思っていたのだろう。でも、羽田は言えなかった。佐山が羽田を可哀想だと思って言ってくれているのだとわかっていたから。どんなに恥ずかしくても、そう伝えられなかったのだ。

「違う……あたしは、はねちゃんのほうが園邑や須藤さんよりずっといいのにって思ったから」

「じゃあ、それでいいよ。佐山ちゃんがそう思ってくれるだけでいい。入江君と須藤さんが両想いだったら、あたし、入っていけないもん。それにあたし、もう入江君に嫌われちゃったし」

 そうしてさらに俯いた羽田に、千花は首を横に振った。

「嫌ってはいないと思うよ。新君、そんなに簡単に人を嫌いになれる人じゃないと思う」

「……本当?」

「うん。ね、春ちゃん」

「千花ちゃんの言うとおりだと思う。新は自分が間違ってると思ったことはそう言うけど、誰かを嫌いになることはそんなにないんじゃないかな」

 羽田はその言葉で、胸をなでおろしたようだった。すると、佐山にはもう、言うことは何も残されない。羽田のためにと怒っていたのが、いつのまにか自分の不満を優先していたことに気づいてしまった。

 佐山は千花をずっと妬んでいた。妬んだ相手が、いつのまにか友人の好きな人と仲良くなっていた。それが気に食わなくて、噛みついていた。でも友人が相手に励まされてしまっては、佐山はどうしたらいいのかわからなくなってしまう。

「はねちゃんまで、園邑達に騙されないでよ……こんな、誰にでもいい顔するような可愛い子ぶってるやつに……」

「私の振る舞いが佐山さんにそう見えたのなら、目の毒だったよね。ごめんなさい。でも、そんなつもりはないの。私自身がマイペースすぎるのは、指摘されてわかったから、直す努力をしようって思ってる」

 千花はきっぱりとそう言って、佐山を黙らせた。それから「でも」と続ける。

「春ちゃんには謝って。図々しいとか、ひどいこと言ったよね。春ちゃんは何も悪いことしてないから、今すぐちゃんと謝って」

 強い口調に、佐山は一度ぐっと眉を寄せ、口を結んだ。けれども千花が見つめ続けると、先に羽田がぺこりと頭を下げた。

「須藤さん、園邑さん、ごめんね」

 そうなっては佐山も意地を張り続けていられない。ついに顔に入れていた力を緩め、頭を下げた。

「……ごめんなさい、須藤さん」

 最後の最後まで、千花には謝らなかった。これが彼女に残った、ほんの少しの意地だった。けれども千花は満足そうで、春は複雑な気持ちながらも「いいよ」と笑った。それから千花に「来てくれてありがとう」と言った。

 それを見守っていた詩絵も、ほう、と息を吐いた。こんなことがあったのだから、今後は佐山達が千花に絡んでくることはないだろう。千花の本当の強さも、目の当たりにしたことだし。

「笹、行こうか。いつまでも春に荷物預けっぱなしじゃいけないしね」

 

 遅れてやってきた新達は、展望台フロアの中心を見て、思わず足を止めた。そこには荷物を足元に置いたまま、会話をしている同じ制服を着た女子が六人。それも関係が悪化していたはずの千花と佐山と羽田、さらに別のクラスであるはずの詩絵とひかりに、そして春。一昨日の夜には対立して騒ぎを起こしたはずなのに、今は笑い声まで聞こえてくる。

 呆気にとられている新達A組男子に、C組男子の浅井が近づいてきた。「びっくりしただろ」と言いながら。

「さっき、佐山さんと羽田さんが、須藤に絡んでてさ。それを園邑さんが助けて、何か話し合って和解してたよ」

「……どういう状況だよ?」

「俺もよくわかんない。でも、女子の面倒な関係は終わったみたいだ」

 佐山と羽田が春に絡んでいたというのは聞き捨てならないが、それを千花が助けたというのも驚きだった。これまであんなに佐山と羽田から攻撃を受けて、それでも黙って耐えていた千花が、春のために彼女らに立ち向かったらしいのだ。浅井によると、かなり怒っていたらしい。新には想像できない光景だった。

「詩絵が助けに入ったりは……」

「しなかった。加藤は、園邑さんがやらなくちゃだめなことだからって、見てたけど出ていかなかったんだ」

 そうしているあいだに、トイレから塚田と牧野が戻ってきた。牧野の目は心なしか赤く、塚田がその肩を落ち着かせるように叩いていた。こっちも何があったのかよくわからない。しかし、牧野は新を見つけるなり睨み付けると、そのままずかずかと近づいてきた。

「な、なんだよ……」

 たじろぐ新に、牧野はずい、と顔を寄せる。そして吐き捨てるように言った。

「早くなんとかしろ、馬鹿」

 何のことかわからない新は、返事をすることもできずに、すぐに背中を向けてしまった牧野を見た。いったい自分がいないあいだに、ここで何が起こっていたのだろうか。春にプレゼントする髪飾りを真剣に見ていた時間、ここではどんな場面が繰り広げられていたのだろうか。

 牧野達C組男子が女子達のほうへ向かったので、新達もそれを追いかけるように展望台中央へ向かった。それに気づいた女子達が、笑顔で手を振る。佐山は気まずそうな顔をしていたが、彼女以外は羽田でさえもどこか恥ずかしそうな微笑みを浮かべていた。

「遅いよ、男子」

「今ね、一緒にお昼食べようかって話してたところなの。笹木さんがテイクアウトできる良いお店知ってるんだって」

「もうあんまり時間もないから、何か買っていこうよ。ていうか、服とかアクセとか買いすぎちゃって、あたしも佐山ちゃんも、ちゃんとしたごはんに出すお金ないんだよね」

 呆れたような詩絵に、嬉しそうに笑う千花、軽い口調だがどこか安心したような羽田。

「タワーハンバーガーとかあるらしいよ。結構大きいみたいだけど、春は簡単に食べちゃうかもね」

「大きさにもよるかな。美味しそうだったらそれにしちゃうかも」

「え、食べるの? そんなに背小さいのに……」

 いたずらっぽく言うひかりに、まともに応える春。むすっとして静かだが、少し楽しそうにも見える佐山。

 男子達が顔を見合わせて苦笑してしまうほど、女子達の様子は変わっていた。最悪の状態だったはずの関係は、修復どころかより良くなっている。新はそう感じた。彼女達の問題は、解決したのだ。多分、千花が佐山達に立ち向かうことによって。そしてそのきっかけを作ったのは春で、詩絵は見守っていた。彼女達は自分で、自分達の問題に決着をつけることができたのだ。

「仕方ねえな。もっと豪華な飯にしたかったけど、そのハンバーガーとかでいいよ。行くぞ、浅井、塚田」

「仕切るなよ、牧野。……さっきまで泣いてたくせに」

「でもたしか、タワーバーガーって大きすぎてテイクアウトできなかったような……」

 女子達の移動に、牧野、塚田、浅井のC組男子が続く。再びA組男子が追いかける。

「園邑さん、笑ってるな。良かったな、入江」

「入江が遅かったから、何があったのかよくわからないままだけどね」

 筒井と沼田がそれぞれ新の肩を叩いていく。そのあとから、新も笑って歩き出した。

「悪かったって。……なあ、春! 何があったのか、簡単にでいいから教えてくれないか?」

 名前を呼ぶと、手に提げた大量の荷物とおさげを揺らして、春が振り向いた。その顔はなぜか赤くて、大きな目はさらに大きく見開かれている。口が「い」の形につくられるのが、スローモーションのようだった。

「秘密!」

 強めに言い切ったあとの笑顔は、新の一番好きなそれだった。

 

 結局、タワーハンバーガーのテイクアウトはできなかった。でも、みんなで食べた「ミヤコちゃんのテリヤキバーガー」は美味しかった。食べているうちに、佐山ももとのうるささを取り戻してきたので、ときどき詩絵と口喧嘩に発展しそうになった。それを周りであわてて止める。

 羽田が千花が鞄につけていたチャームを「可愛い」と褒めたことがきっかけで、二人の会話が弾んでいった。羽田も佐山とお揃いでアクセサリーを買っていたらしく、彼女達の仲の良さが窺えた。

 塚田が牧野を慰めていたところに、沼田も加わった。何があったのか察したらしい。牧野はシェイクを自棄飲みして、またトイレにいく羽目になった。浅井は牧野に同情していた。

「そうだ、ミヤコちゃんと写真! 園邑さん、撮りたいって言ってたじゃん!」

 昼食も終わり、ミヤコタワー展望台を離れようとした直前、筒井が叫んだ。ちょうどミヤコちゃん着ぐるみの周りは空いていて、すぐに写真を撮ることができそうだった。

「いいね、みんなで撮ろうか。すみません、カメラお願いできますか?」

 ひかりが近くの人を呼び留め、自分のカメラを手渡す。そしてみんなでミヤコちゃんを囲んで、写真を撮ってもらった。帰ったらプリントして渡すねと、ひかりは大切そうにカメラを鞄にしまった。

 エレベーターに乗り、下まで降りて、ミヤコタワーをあとにする。これからバスターミナルに向かい、担任のチェックを受けてから、それぞれのクラスのバスに乗り込むのだ。それからは、礼陣までほぼ休みなく走っていく。行きよりも帰りは距離が少しではあるが短いので、途中休憩は十五分程度しかない。

 ビルに囲まれた道を歩きながら、新は鞄に入れておいた、小さな包みを取り出した。渡すなら、他のみんなと少し距離ができた今だ。包みを握りしめて、新は春の隣に駆け寄った。

「春、ちょっと」

「え、何?」

 立ち止まった春の手に、新は包みを握らせた。突然手をとられた春は驚いた顔をして、それから包みに目を落とした。

「これは?」

「春の誕生日……五月に、祝い損ねたから」

 ぱっと春が顔をあげる。頬が赤くなっていて、目がきらきらしていた。渡したのは本当に小さな包みなのに、大切そうに手で包み込む。それが可愛くて、抱きしめたくなったが、新は必死でその衝動を抑えた。

「……いいの?」

「いいんだ。オレが春にそうしたくてしてるんだから」

 顔が熱い。きっと、新自身も真っ赤な顔をしているんだろう。それが春の目に映っていると思うと、余計に恥ずかしくなった。けれども、そんなものはすぐに吹き飛んでしまう。

「ありがとう!」

 春の笑顔を見られれば、新はそれで良い。じっくり選びすぎたせいで、春達に起こっていた出来事がわからなくても、今この瞬間に春が笑っているという事実だけで十分だった。

「私も何かお礼できればいいんだけど……昨日研修で作ったケーキは夜のうちにおやつにしちゃったし、残ってても夏だから危なくてあげられなかったから……ええと……」

「いいって。まあ、手作りケーキは惜しかったけど、また今度作ってくれれば嬉しいな」

 鞄をあさり始めた春を止めて、新も笑う。すると、春は少し考えてから、「三月」と呟いた。

「新の誕生日、三月だよね。そのときには、絶対お礼するから。手作りケーキでも、なんでも」

 真剣な顔で、まだ半年以上も先のことを言う。その頃にはとっくに卒業式も終わり、きっと進路も決まっているのだろう。それくらい、先の話だ。そのときもまだ一緒にいることを前提に、春は話をしている。

 それがもう嬉しくて、新は頬をさらに緩ませた。

「期待してる」

 それまでの憂鬱を全部飛び越えて、すぐに三月になってしまえばいいのに。そう思った。

 

 バスターミナルに到着した二班を見て、教師陣とすでに来ていた生徒達の一部は驚いた。特に服部は、険悪だったはずのA組女子の変貌に思わず「何があった?」と尋ねてしまったほどだ。

「いろいろあったんですよ」

 千花はそう流そうとしたが、佐山と羽田は頷きあって、服部に向かって頭を下げた。

「先生。初日にバスの中で、園邑さんをシカトしようって手紙を回したの、あたしです。ごめんなさい」

「あたしは佐山ちゃんとそれを面白がってました。ごめんなさい」

 場がしんと静まりかえった。千花は戸惑い、一緒にいた詩絵達は驚いて目を瞬かせている。A組のバスの中にもその声は聞こえていて、生徒達は息を呑んだ。

「……園邑には、謝ったのか」

 服部が低い声で言う。すると千花がすぐに答えた。

「もう大丈夫です! 今度は本当に、本当の本当に、大丈夫ですから!」

 虚ろで弱々しい「大丈夫」なんかではない。心の底からそう思っていた。一緒にごはんを食べて、あんなにお喋りをして、写真まで撮った。もう佐山達が千花につらく当たることはないだろう。佐山達にも、そのつもりはなかった。そんな気持ちは消え失せてしまった。今はただ、謝りたかった。

「園邑……手紙のことは、ごめん」

 佐山が千花を見て言う。羽田もそれに続いた。「手紙のこと」に限定するあたり、まだ意地はあるのだろう。しかし千花はそれでも良かった。

「もう気にしないから、いいよ」

 だって、今日は楽しかったから。良い思い出が、たくさんできたから。千花は、幸せだ。

 もしかしたら、しばらくは手のひらを返した佐山と羽田を非難する者も出てくるかもしれない。それは彼女らも覚悟している。ここまで来るまでに、詩絵とひかりが言って聞かせたためだ。でも、同時に「ひどいことになりそうなら助けるから」と約束もした。もちろん、千花も頷いた。

 だから服部には、ちゃんと報告しようと思ったのだ。きっと今回のことで、一番気を遣ったのは、当人とこの担任教師だっただろうから。

「自分たちで解決したんだな。それならいい」

 服部が浮かべた笑みは、この四日間で一番穏やかだった。

 バスに乗り込んだ千花達を待っていたのは、まだ頭に疑問符を浮かべているクラスメイト達だった。佐山は、いつもの取り巻きから「なんで園邑に謝ろうと思ったの?」などと声をかけられている。「シカトしてんのもめんどくさくなった」と佐山が答えているのを聞き、千花は思わずくすりと笑ってしまった。そうして自分の席につこうとしたとき、小日向と目が合った。「良かったね」と言ってくれた彼女に、千花は「ありがとう」と返した。

 新は席に座ってから、そういえば、と思いだした。「ミヤコタワー展望台で告白をして結ばれたカップルは幸せになれる」と沼田が言っていたが、新は結局実行しなかった。また春への再告白のチャンスが流れてしまったのだ。

 でも、まあいい。また次回がある。春は三月に新の誕生日を祝ってくれると言ってくれたのだから。それまでは何度だってチャンスがある。修学旅行は終わるが、中学生活は、まだまだ残っているのだ。

 詩絵はバスに乗り、自分の席に腰を下ろすと、大きく息を吐いた。佐山達とも普通に接しているように見せていたが、本当は心配でたまらなかった。千花のことも、佐山達のことも、それから春のことも。座った途端に、疲れがどっと出てきてしまった。

「詩絵ちゃん、お疲れさま」

 隣に座る春が言う。きっと春は、詩絵が気を遣っていたことをわかっている。だからこんなに優しい声で、そんなことを言ってくれるのだ。

「春こそ、お疲れ。……いろいろ大変だったでしょ」

「うん。でも、良かった。千花ちゃんももう無理しなくていいし、私も……」

 言葉を切って「えへへ」と笑った春の手には、小さな包みがあった。さっき新にもらっていたものだ。道端であんなやり取りをされたら、振り返って見るに決まっている。

 千花曰く、春もようやく自分が新を好きだということを自覚したらしい。牧野に告白されて気づいたのか、それとも羽田が新に告白したときか。いずれにせよ、二人はやっと両想いになったのだ。春の気持ちは、まだ新には伝わっていないようだけれど。

「春、それ何? さっきから見てはにやにやしてるけど」

 ひかりが何の遠慮もなく尋ねると、春は「にやにや」を抑えるように頬を両手で軽く叩いた。それからその場で包みを開けた。

 中から出てきたのは、小さな花の飾りがついた髪ゴムが二つ。淡いピンク色が、春によく似合いそうだった。

「可愛いじゃん。次の登校日からつけていけば?」

 詩絵が言うと、しかし春は首を横に振った。顔を赤くして、呟くように答える。

「……これは、特別な日につけることにする」

 よほど嬉しかったからこそなのだろうが、詩絵は苦笑した。しばらくのあいだ、最低でも夏休みまでは、新は春の髪を気にするだろう。そして自分が贈った髪ゴムをつけていないことに落ち込み、「気に入ってもらえなかったんだろうか」と嘆くのだ。その光景が閉じた瞼の裏にありありと浮かぶ。

「みなさん、お疲れさまでした。修学旅行は楽しまれましたか? これより、みなさんの地元、礼陣へと参ります……」

 バスガイドの声を聞きながら、三泊四日をそれぞれに楽しんだ生徒達は、夢の世界に入っていく。思い出語りはまた今度。目が覚めて、待っている家族に「ただいま」を言ってから。