深い森の奥に、オオカミがいました。大きな木に寄りかかり、息を荒く吐いては吸って、苦しそうにしていました。オオカミは手負いだったのです。
オオカミは片手をだらんと地面に置いていましたが、もう片方の手は、切り裂かれた腹からこぼれる臓物を押さえていました。なんとか腹に戻そうとやってみましたが、うまくいかなかったのです。そこでもう臓物のことは諦めて、これからどうしようかなどと考えておりました。
こんな腹では、獲物をとって食べることもできません。そもそも、ここから動けそうにありません。このまま飢えてしまうのか、それとも体が冷えて固まってしまうのが先か。どちらにせよ、オオカミらしくはないと思いました。
そこへ、森を旅するネコが現れました。旅とはいっても、とても狭い森をうろうろしているだけなので、たいしたことはありません。
ネコはオオカミを見るなり、笑いながら近づいていきました。
「あらぁ、今日は無様な姿ね。いったいどうしちゃったわけ?」
オオカミは迷惑そうな目をネコに向け、ぜえぜえという音を混ぜながら答えました。
「アンタには関係のないことよ」
「ここで会ったら、もう関係を結んだも同じこと。ああ、おそろしいオオカミさんがこんなに苦しんでいるのを見られるなんて! 今日のわたしはとっても幸運!」
きゃあきゃあと嬉しそうに飛び跳ねながら、ネコはオオカミのまわりをぐるぐると回りました。そして色んな角度から、オオカミの青い顔を、真っ赤に染まった腹を、そこから飛び出す臓物を眺めました。獲物をとっているときなど、普段も散々見ているはずの血や臓器なのに、まるで珍しいものを初めて見たとでもいうように、騒ぎながら見ています。
見られているオオカミは、だんだんいらいらしてきました。ただでさえ考えることが多いのに、その思考をネコにかき乱されるので、いくら思うことをまとめようとしても全て散ってしまうのです。
そんなオオカミの思いを知らずに、ネコはとうとう臓物に手を伸ばしました。ちょうどお腹が減っていたので、血でぬらぬらと光るそれが美味しそうに見えたのです。それにオオカミの臓物なんて、めったに食べられるものではありません。きっと食べたことを他のみんなに知らせたら、たいそうな自慢話になるでしょう。
ところが、ネコが臓物に触ろうとしたとき、オオカミは地面に置いていたほうの手でネコの手を掴みました。その動きはとても手負いとは思えないほどに素早く、ネコも思わず目をぱちくりさせました。
「どうしてお腹の中身が飛び出してるのに、そんなに速く動けるの?」
びっくりして尋ねると、オオカミはにんまりと笑って言いました。
「それはね、ネコちゃん。アタシはこんなことでは死なないからよ。アタシが死ぬのは、お腹の中身をすっかり取り除かれて、石を詰められ、泉に落とされたとき。そう、それがオオカミの正しい死に方なのよ」
オオカミは臓物を押さえていた手をそっとはずすと、ネコの腕を両手でがっしりと掴みました。そして左右に勢いよくひっぱりました。
「ぎゃあああ!」
腕がぶちりと引きちぎられて、ネコは悲鳴をあげました。骨はまだ繋がっていましたが、肉はすっかり離されてしまっていました。オオカミは鋭い爪でネコの腕の肉を剥ぐと、それを自分の口にぽんと入れました。臓物が出てしまっているのでうまく消化できるかはわかりませんが、ものを食べたという満足感は得られました。
腕が、腕がとうわごとのように呟くネコに、オオカミは言いました。
「それくらいなんだっていうの、こっちはお腹の中身が出ているのよ。しばらく痛くて冷たくて、病むんだからね」
言いながら、ネコの腕を削いでは食べ、削いでは食べます。片方の腕が少なくなってくると、もう片方を掴んで、同じように引き裂きました。そうしてまた食べて、食べるのでした。
ネコはもう、すっかり元気をなくしていました。両腕を失って、たいそうショックを受けていたのです。
そんなネコに、食べることに満足したオオカミは言いました。
「アンタ、旅が好きなんでしょう。だから足は残しておいてあげたのよ。また好きな場所に行ってらっしゃい。そしてもう二度とここには戻ってこないでね、うるさいから」
手を払って「しっしっ」とネコを追い払おうとしますが、ネコは一向に動きません。もう旅をする気力はないようです。
まあ、静かになったからいいか。オオカミはそう思って、また臓物を腹に戻そうとしました。けれども満腹になってしまったせいか、さっきよりも入りにくくなっていました。