――おじいちゃん、何してるの?

――歳神様をお迎えする準備だよ。

――としがみさま?

――新年を運んできて、良い年にしてくれるのさ。

――じゃあ、ボクのお願いも叶えてくれるかな?

――あぁ、きっと叶えてくれる。だけどね、勇太…

 

僕はまた、新年を迎えようとしていた。

道を歩いていると、冷たい風が吹いてくる。

おじいちゃんが亡くなって、もう何年になるだろうか。

僕はいつのまにか小学4年生になっていた。

「…あ」

僕はふと横を見た。

同じ学区の1年生の子が、このあたりで一番恐い犬に追い詰められて泣いている。

犬は今にもとびかかりそうで、低い声で唸っていた。

――助けなきゃ。

一度はそう思って、向かっていこうとした。

しかし、足がすくんで動けない。

――駄目だ。恐い…。僕がやられちゃう。

僕はその場を去ろうとした。

助けを求める女の子を無視して。

 

「それはないんじゃないの?」

その声は空から降ってきたようだった。

僕はあたりを見回した。

でも、誰もいない。

「ここよ、ここ」

まさかと思い、僕は上を見た。

いた。

木の枝に座っていたのは、僕と同じくらいの女の子だった。

僕が気づくと、彼女は木から降りてきた。空中一回転もついでに披露して。

「あんた、あの子見捨てようとしたでしょ」

降りてきて第一声がこれだ。

「別に、見捨てたわけじゃ…ただ…」

「ただ?」

僕が俯くと、その子は覗き込んでくる。

「えと…帰る途中で、急いでて…」

「何よそれ」

彼女が呆れたように言う。

「あの子は怪我するかもしれなかったのよ?そんな事よりもあんたは帰るほうが大事なの?」

僕は彼女を無視してそのまま行こうとした。

「待ちなさいよ。助けてから行きなさい」

「……」

こんな事に付き合ってる暇はないんだ。

…その前に、恐かったし。

「遅くならないわよ。時間止めてあるから」

何を言ってるんだこの子は。

僕はそう思いながら先ヘ行こうとした。

…が、体が前へ進まない。

それどころか、彼女のほうへ戻っていく。

「な、何で…?」

「よく周りを見なさい」

僕は言われた通り周りを見た。

空には鳥が・・・止まっている。

近所のおじさんが家から出ようとして…止まっている。

もちろん、あの犬も止まっていた。

「さ、これなら助けられるわね」

彼女が笑って言った。

僕は犬に近づいて、動かない事を確かめた。

それから引っ張って近所のおじさんの所に置いた。

「いいわね。時間を進めるわよ」

彼女がそう言った直後、周りが皆動き出した。

あの犬に襲われていた女の子は、急に犬が消えたので訳がわからないようだった。

犬はというと、おじさんに殴られてしゅんとした。

「これはいったい…」

僕は彼女に訊ねた。

「私の神通力よ。」

彼女は自慢気に言った。

「じんつうりき…?」

「そう。…私の名前はミトシ」

彼女は一回転した。

「歳神のミトシよ」

 

僕だって信じられなかった。

だけど、あの時間が止まった事を考えると、信じるしかないじゃないか。

目の前にいる女の子が歳神。

おじいちゃんがよく言っていた歳神様。

僕と同じくらいなのに、彼女は神様。

「何よ、なんか文句あるの?」

「いや…じゃなくて…いいえ、ないです」

「それならいいんだけど」

ミトシは木に寄りかかる。

さっき登っていた木だ。

「こんなんじゃ新しい年はあげられないわね」

「え?」

新しい年はあげられない…ってどういうことだ?

「何よその顔。私、こんな面白くない所に新しい年なんてあげられないって言ったのよ」

新しい年が来ないってことは…僕はずっとこのまま…?

「僕の成長は止まるの?」

「そんな簡単なもんじゃないわ。」

ミトシは人差し指を立てて、僕に顔を近づけた。

そして、囁くようにこういった。

「そんな世界は不要だから、私が消してあげるのよ」

…消すって…

「世界が消えたら楽だわ。私の仕事はないんだから」

「ちょ…っそんなの困るよ!僕の人生これで終わり?」

「そうよ」

なんてことを言うんだ!

しかもこんなにさらりと!

「あ、でもね」

ミトシはまた何か言い出した。

「面白いもの見せてくれたら…考えてあげていいわ」

 

30分後、ミトシは僕の家にきていた。

僕が誘ったのだ。

「ほら、これ!このマンガ面白いんだよ!」

「ふぅん…」

うちにあるありったけの本を集めて、ミトシに見せる。

面白いものっていったら、まずはこれだ。

でも…

「あ、これいいかも」

「え?どれ?」

「この人類滅亡するやつ」

「……」

これじゃ、駄目みたいだ。

「ねぇ、もっと面白いものないの?」

「じゃあ、外に行こう」

 

外に出てもミトシは変わらなかった。

「あ、これいいかもね。こんなの見てみたいかも」

ミトシがグロテスクなキーホルダーを手にとっている。

「…ねぇ、本当にミトシって歳神なの?」

「そうだけど」

そうは思えなくなってきた。

このままじゃ本当に世界がなくなっちゃう…。

「おい、テメー聞いてんのか?!」

「金出せって言ってんだよ!」

声のほうをチラッと見た。

カツアゲだ。

見てたらこっちまで巻き込まれる。

僕は目を逸らした。

まわりも同じように見ていないふりをしている。

「…やっぱ消そうかな、こんな世界は」

ミトシが呟いた。

「そんな…」

「だって、困ってる人を助けようともしない。一番大事な勇気がないのよ」

ミトシは厳しい目をして僕を指差した。

「あんたも完全に名前負けしてるじゃない、勇太」

 

結局、ミトシが時間を止めてカツアゲされてる人を助けた。

――名前負け、か。

この名前はおじいちゃんがつけてくれたそうだ。

いつかおじいちゃんが言っていた、歳神様の話を思い出す。

――歳神様は願いを叶えてくれるがな、そのために勇太はいつも持っていなければいけないことがある。

――何?

――それは、勇太の名前にもあるものだよ。

 

でも僕は、恐いから。

弱虫だから、無理に決まってる。

カツアゲされてる人を助ける為に、自分よりもずっと大きなやつに立ち向かっていくなんて出来ない。

できっこないんだ。

 

「やっぱり全然面白くないじゃない」

ミトシが夕暮れの街を、不機嫌そうに歩いていく。

僕はその後ろをついていく。

「ねぇ、もう一度考え直してくれない?」

「面白いものないじゃない」

なんなんだろう、ミトシが面白いと思うもの…。

僕にはそれがなんなのかわからないんだから、どうしようもない。

僕たちには来年が来ないのかなぁ…。

僕はふとそばを流れている川を見た。

 

「…あれ…?」

 

何かがおかしい。

人だ。

人が溺れている。

「ミトシ…っ!人が!」

「え?!」

ミトシが川に近づく。

「流れが速そうね…」

「時間を止めればいいんじゃない?」

「…すぐ人に頼ろうとする」

ミトシが人差し指を川に向ける。

 

が、何も起きない。

「…駄目だわ…」

「え?!」

「もうこの世界では神通力を使えない…使いすぎたのよ!」

じゃあどうすればいいんだ?!

…飛び込む?

いや、駄目だ。こんなに流れが速いんじゃ、どうする事もできない…

そのとき、そばで何かが水に飛び込む音がした。

隣を見ると、ミトシがいない。

「ミトシ…!」

ミトシは水の中だった。

溺れていた子に追いつき、必死で抱きしめている。

だけど、どこにもつかまれない。

この先はたしか、急に深くなっていて危険だって聞いた。

「ミトシとあのこが…沈んじゃうよ…!」

でも、僕も死んでしまうかもしれない。

どうすればいい…?

いくら来年が来なかったからといって、ここで死ぬのはいやだ。

でも、このままじゃ…

 

――勇太…

 

不意に、おじいちゃんの声が聞こえた気がした。

 

――勇太の名前にあるもの…それが一番大切なものだ。

 

一番、大切なもの…?

 

――それは、勇気だ。

 

勇気…?

 

――ただ持っているだけじゃ駄目だ。勇気を振り絞って、物事を成すんだ。

 

勇気を、振り絞って…!

 

「ミトシ…っ!」

 

僕は水の中にいた。

必死でミトシの腕をつかまえて、岸にしがみついた。

体が重くなる。

腕が疲れる。

――もう、駄目だ・・・

 

「諦めるな!勇太!」

 

水の流れがなくなった。

いや、違う。

僕たちは宙に浮いていた。

「…ミトシ…?」

「諦めるなよ…あんた、出来たじゃない。」

「え?」

「勇気、出したじゃない」

ミトシが笑った。

僕も、笑った。

 

溺れていた子は近所の人が連絡して親に引き取られた。

「本当に、なんとお礼を言ったらいいのか…」

「いえ、助けたのは僕じゃないです…この…」

そこまで言いかけて、ミトシがいないことに気づいた。

「…あの、ココにいた女の子は…?」

「女の子?最初から君だけだったじゃないか」

僕だけだった…?

 

「ミトシ!ミトシー!!」

僕は探した。

ミトシが助けてくれたんだから、お礼を言わなきゃ。

「ミトシってば…!」

「うるさいわね」

空から降ってくるような声。

間違いない。

「ミトシ…っ」

僕が木の上を見ると、やっぱりそこにミトシはいた。

ミトシは中で一回転して、降りてきた。

「ミトシ、ありがとう。僕…」

「私は何もしてないわよ」

ミトシが僕の言葉を遮った。

「むしろ私があんたにお礼を言わなきゃならないわ。…あんたが勇気振り絞って来てくれた時、なぜか力が…ほんの少しだけど、戻ったの。あんたのおかげ」

「違う、僕は…」

僕は、ミトシがいたから…。

「あんた、名前のとおりの人間だよ。これからもその勇気、忘れないでね」

ミトシは笑うと、どこかへ消えた。

「ミトシ…」

あとには冷たい風が吹いていた。

 

年が明けた。

僕は無事に新年を迎えたのだ。

世界は消えなかった。

ミトシは面白いものを見る事が出来たってことなのか、僕にはわからない。

もしそうだとしたら、ミトシは何を面白く感じたんだろう。

 

あの日以来、僕はどんなときでも勇気を忘れないようにしようと心がけてきた。

あの恐い犬は相変わらずで、でも僕は見かけるたびにミトシのことを思い出して、立ち向かっている。

おじいちゃんの言葉どおり、歳神ミトシは願いを叶えてくれた。

僕は強くなったと思う。

…まぁ、犬に負けるくらいだから、力の事ではないんだけど。

 

今年、僕はもっと強くなる。

 

 

Fin