悲嘆にくれた破壊の神が、自らの分身を他の世界に送ったことは、大きな問題となっていた。
それはすなわち、その世界に住まう者たちとは異なる性質の者を生み出してしまったということであり、世界のバランスを崩してしまう、本来ならばあってはならないことなのだ。
このことについては慎重な議論が交わされたが、そうしている間にも他の世界は時間を進め、破壊神の分身たちはそれぞれの人生を過ごしていた。
たしかに他のものとは違うところもあったが、神らが思うよりも、彼らは世界にうまく順応していたのだった。
「では、もう何も問題はないのでは?」
「いや、これから歪みが出るかもしれぬ」
神らは世界の一つ一つを見守った。何かしらの事柄が発生したならば、すぐに応じられるように。
恐れていた通り、そのうち一つの世界で、大きな歪みが生まれた。破壊神の分身の、その末裔が、無意識のうちに人々の住む土地を滅ぼしかけたのだ。
その土地には雨が降らなかった。草木は枯れ、生きる者は皆弱っていった。それが自分の影響であるとも知らずに、破壊の力を持った者はうろたえていた。
「この状態を放置しておくのはあんまりです」
神のうち、特に他世界の人々を愛していた者が言った。
「私が行って、様子を見てきます」
そうして下界におりた彼は、以降、帰ってこなかった。
彼はその土地の人々に、過干渉してしまったのだ。彼らの飢えを癒し、その土地に留まることとなってしまった。
最初からそのつもりだったのでは、という者もいた。なにしろ彼の下界好きは有名だったのだ。覗いては憧れを口にし、「自分も彼らのように生きたい」と公言しているほどだった。
彼がその地に降り立ったことによって、さらなる歪みが生じた。彼はその地で眷属をつくり、土地の人々と交流を持たせたのだ。その結果、そこでは二種類の「人」が生活を営むようになった。
もともとその土地にいた人々は、神とその眷属を、自分たちの知っているものになぞらえて呼ぶようになった。――「鬼」と。そして「彼」は、「大鬼」と名付けられた。
しかし彼らはもとより人間とは異なる存在。いつまでも同じように生きるというわけにはいかず、やがて、存在はそのままに、姿だけを消すことにした。

そもそも、世界の境目が曖昧になってしまっているところなのに。そこにさらに歪みを生じさせた彼の罪は大きい。
そう言って、「大鬼」となった彼を責める者もいた。
だが一方で、彼の生き方を認め、さらには自らも別世界へ降り立とうとするものが出始めた。
こちら――第一世界は、変革のときを迎えていた。「神」として地を傍観するだけというわけにはいかなくなってしまった。
一つ起こればまた一つ。事象は次々重なっていく。若い歳神が人間に接触し、その力を示したこと。死神の娘がその役割を放棄し、揚句の果てに深い傷を負って帰ってきたこと。さらには他世界のものに時渡の力を与え、世界の検分をさせていること。
第一世界と下位の世界との境目は、徐々に失われつつある。
「それもまた、運命なのかもしれませんよ」
神々が行く末を案じているところへ、久方ぶりに姿を現した時神の一人が口を挟んだ。
……私たちが運命などと。運ばれる側でなく、運ぶ側だというのに」
「そんなことはありません。神と呼ばれ、他の世界の人間たちから崇められても、私たちはこの第一世界の人であることに変わりありません。私たちを運ぶような、さらに高位のものがあるかもしれない。それに従うもよし、逆らうもよし」
「キリトキ、口が過ぎるぞ。我らを下位のものと同種にするとは許しがたい」
キリトキと呼ばれた時神は、激昂する者に向かって冷たい目を向けた。
「その考えこそが愚かなのですよ。私たちは人です。現にこうして困り、怒り……人間たちと大差ないことをしているではありませんか」
「に、兄様のいうとおりですっ! 私たちはちょっと力があるだけで、あとは人間と変わらないと思います!」
応戦したのは、若い歳神――先ほど人間に接触したという彼女――だった。だが、キリトキに「黙っていなさい、ミトシ」と抑えられてしまった。これ以上彼女が口を開いても、ただ自分のしたことを正当化しようとしているだけになってしまう。
「運命の神でさえ、人間に弄ばれるのです。……まあ、彼女はまだ自分がそうであることに気づいていませんが。とにかく、もう私たちが高位の存在であると自称できるような立場ではなくなってきているのです。それに気づかなければ、第一世界はさらに落ちぶれますよ」
誰もキリトキに返す言葉を持っていなかった。受け入れるにしても、そうでないにしても、その場にふさわしいことを一人として言えなかった。
……
ああ、人間は、一柱と言ってくれるのだったか。
「これでは、第一世界の存続も危ぶまれますね。第三世界と繋がってしまうのも無理はない。誰も破壊神や再生神、歳神ミトシや運命神濡露を責めることはできない」
きっぱりと言って、キリトキは再びその場を去った。彼がめったに姿を現さないのも、驕りにまみれた連中と一線引きたいからなのである。
そのあとをミトシが追った。そこには、まだ議論とやらを続けようとする者たちが残っていた。

……ってことがあったわけよ」
ミトシは見聞きした一連を、濡露に打ち明けた。彼女が死神ではなく運命神だという事実は伏せたが、それ以外は洗いざらい喋ってしまった。
濡露はそれを布団の上に座ったまま聞いていた。まだ、人間の娘につけられた傷が、完全に癒えてはいなかったのだ。
「第一世界は破壊神の指事件以来真っ二つ。それに私や濡露が追い討ちをかけた。みんなそういう解釈をしているみたい」
「そう、その話、まだ続いていたの……
破壊神が指を切り落とし、他の世界に分身としてばらまいたのは、濡露が誕生する以前のことではなかったか。そして濡露が幼いころ、まだその話は大事件として語られていた。
第一世界の時間の流れはゆっくりだ。いつまでたっても、物事の本質にたどり着かない。
「きっと認めたくないのよね。自分たちの地位は永遠だと思ってるんだわ……
自らも永遠を求めている濡露の言葉は、ミトシの心の中につっかえながら沈んでいった。