今日、人類は地球上から消え去った。
新型特殊爆弾は世界を一瞬にして掃除してくれた。
そして私は、掃除されなかったもの――つまり、「生き残り」だった。
どうしてそうなったのかは分からない。いまさら考えてもどうしようもない。
だって私以外に、人類はいないんだから。
そう思っていたら、一人だけ生きていた。
きれいになった世界を散歩しようと思って外へ出て、しばらく歩いていったら、彼に会った。
ガードレールに寄りかかって、こっちを見ている。
おかしなことには、彼の腕の中には人形があったのだ。
きれいな、市松人形とかいう奴だろうか。
自分とそう変わらない男の子がこんな人形を持って外にいるなんて、不自然だ。
…いや、もしかしたらこれが自然なのかもしれない。
もともとそういうことを勝手に決めていたのは、滅びた者達なのだから。
「何やってるの?」
私は彼に話し掛ける。
彼はしばらく黙っていたけれど、私を見ているから無視しているわけではないらしい。
そう思ったとおり、彼はしばらくして口を開き、「散歩」と答えた。
「君は、何を?」
そう訊き返してきたから、私は彼の返事と同じことを答えた。
それから、私たちはいつのまにか並んで道を歩いていた。
「名前、なんていうの?」
「ヨウ」
「どこに住んでるの?」
「市内」
彼は必要最低限のことしか答えないらしい。
その代わり、質問は返してきた。
「君の名前は?」
「梨依紫」
「リイシ?」
「うん」
住所は訊かれなかった。
私たちはそのまま、遊園地まできた。
誰もいない。ここに来る途中も、ヨウ以外の人には会わなかった。
やっぱり、生き残ったのは私たちだけのようだ。
私は園内に入って、入り口から少し離れたベンチに座った。
ヨウは遅れてきて、私の隣に座った。
雑音が聞こえない。聞こえるのは遊園地に流れる、ゆったりとした音楽。
「ヨウは、どうしてここにいるの?」
私は尋ねた。彼の存在理由が分かれば、私が生きている理由もわかると思ったから。
でも彼は、逆に聞き返してきた。
「リイシは、どうして?」
「どうしてって…」
私にはわからない。なぜ私はここにいるのだろう。
ヨウ以外全ての人間が消えたのに、私はここにいる。
もしかすると、これは私の…
いつも思っていた。
くだらない噂をする奴らも、くだらない行動をする奴も、うるさい教師や親も、皆消えてしまえば良いのにって。
人間の声は雑音で、私にとっての公害。
全て消えろ。消えてしまえ。
私はいつもそう思っていた。
もしかすると、これは私の望んだ世界なのかもしれない。
いや、そうだ。
特殊爆弾は私の味方だった。
この世界では人間以外の全てが私の味方だったんだ。
私は生き残るべくして生き残ったのだ。
じゃあ、ヨウは?
ヨウはなんだっていうの?
人間は全て私の敵のはずで、ヨウだって消えるはずではないのだろうか。
それともヨウは、人間ではないのだろうか。
「…ヨウって、人間?」
そう尋ねると、ヨウは何か考えるように上を向いた。
「人間と言えば人間。違うと言えば違う。」
曖昧すぎる。人間じゃないならはっきり言えばいい。
私は人間が嫌い。人間以外のものならいくらでも好きになれそうな気がする。
人間は汚い。人を追い詰めて、笑っている。
人間は醜い。集団を作って、要らない者は省いて潰そうとする。
人間は卑怯だ。自分たちと違うものは、何をしてでも排除しようとする。
人間は愚かだ。自分では手に入れられなかったものを、人には強制する。
でも、とうとう消えてくれた。ここは私の世界になった。
汚く、醜く、卑怯で、愚かな者達は、消えるべくして消えたのだ。
ヨウは、人間じゃない。
私も、人間じゃない。
「ここは、もう人間の世界じゃない…」
そう改めて口にすると、思い切り遊びたくなった。
私は遊園地の中を駆け回り、遊具で遊び、思い切りはしゃいだ。
はしゃいでいる、と思う。
でも、何か変だ。ずっとこんなこと無かったから、違和感を感じているのかもしれない。
きっとそのうち慣れる。
私はヨウの座っているベンチに戻って、再びヨウの隣に座った。
そして、笑ってみた。
楽しいから笑う。嬉しいから笑う。
そうしているはずなのに、何故か私の笑いは虚しかった。
無機質な笑い声は青い空に吸い込まれて、空気に溶けた。
この空虚な心は、なんだろう。
これは、私の望んだ世界なのに。
私をいじめた奴らも、話を聞いてくれなかった教師も、押し付けるだけで何一つ与えてくれなかった両親も、
皆消えてくれたのに。
「…気がすんだ?」
ヨウがそう尋ねた。
「君は、気付いていないかもしれないから…真実を言っておく。」
気づいていない?
真実って、何?
ヨウは私を真っ直ぐ見て、はっきり言った。
だけど、何を言っているのかさっぱり分からない。
…ううん、分かってるけど、分かりたくない。
私はこんなこと、認めない。
だって、新型特殊爆弾で、人類が滅びたの。
滅びたのは人類。消えたのは人類なんだ。
だけど、ヨウの言葉は頭から離れない。
それは、これが真実だからなのだろうか。
私はやっとの思いで、言葉を発した。
「…ねぇ、観覧車乗らない?」
ヨウは静かに頷いてくれた。
観覧車から見える風景は、誰もいない街。
いくら探しても、人間は見当たらない。
「…ねぇ、さっきの話、本当?」
私の問いに、ヨウは頷いた。
「この景色も、全部私の見てる幻なの?」
ヨウはまた頷いた。
「そっか、私…」
それ以上は口に出さなかった。
言うのが怖かった。認めてしまうのが怖かった。
だけど、確かに無人のはずの遊園地は稼動していて、それが決定的な証拠になってしまっていて。
観覧車はてっぺんまで登って、また下り始めた。
「どうして、私はヨウに会えたの?」
全てが私の幻なら、彼もまた、私の幻なのだろうか。
でも、彼はそうではないというように答えてくれた。
「俺は、君と同じ人間だよ。でも、半分は人間じゃなくなっている。人間じゃないから、君は俺が見える。」
やっぱり、ヨウは汚い人間じゃなかったんだ。
この世界から半分抜け出せた、とてもうらやましい人なんだ。
私は自分のいた世界が嫌になって、逃げ出した。
でも、それを後悔してた。
だって、求めた世界は、実際にはあまりにも寂しい世界だったから。
もう後戻りは出来ないんだ。これから新しくやり直そう。
そして今度こそ、逃げないで…。
たくさんの人々に混じって、遊園地から一人の少年が出てくる。
腕には一体の市松人形を抱き、彼はその人形に話し掛けていた。
「リイシ、ちゃんと逝けたかな」
人形は口を開き、それに答えた。
「逝けたんじゃないの…多分」
「多分って…」
つまらなそうで面倒そうな表情の人形に、少年はため息混じりにそう言った。
人形は呆れ顔の少年に、先ほどとは一転していたずらっ子のような笑みを向ける。
「あの子、自分が死んでるって気づいてなかったでしょ?自分で薬飲んだのにさ…それほどこの世界は辛いのよ。
死者がちゃんと逝けないような世界は、ろくな世界じゃない。アンタも捨てたら?こんな世界」
「俺は…」
少年は少し考え、首を横に振った。
「…やっぱりやめとくよ。まだやりたいことは残ってるし」
笑いながらそういう少年に、人形は再びつまらなそうな顔に戻る。
「こんな世界で何がやりたいのよ。大体さっさと死んでくれないと、アタシの仕事はいつまでたっても終わらないの!」
「当分終わらせないよ。安心してこの世界にとどまるといい。」
「早く帰りたいのよアタシは!」
ぶつぶつと文句を言う人形に、少年は残念だなぁ、と言う。
「今日の夕飯の後、おやつはシュークリームにするって母さんが言ってたのに。」
「シュークリーム?!」
「でも帰るんだろ?ほら、俺が今あの車の前に飛び込めば帰れるんだ。」
「うぅ…分かったわよ。シュークリームのために今日は我慢するわ…」
悔しそうなような、嬉しそうなような、表情のくるくる変わる人形を、少年は軽く撫でる。
「ちょ…っアンタ何するのよレディの髪を!」
「ハイハイ、うちに帰ったらご飯食べてシュークリーム。」
「…晩御飯何?」
「今日はから揚げじゃなかったかな」
「本当?!珱のお母さんのから揚げおいしいんだよねぇv」
「…濡露は食い意地張ってるよね…」
「失礼ね!」
霊感少年珱と、死神人形少女濡露。
彼らは虚空と化していく世界に、今日も何かを見ている。